峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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2007年10月13日 | 町内会長
午前8時半、敬老祝賀会に向けての料理の下ごしらえを午後4時から行う旨、有線放送で案内をかける。
集会所のすべての窓を開放。神棚の榊【さかき】の水を取り替え、今日1日の町内会の無事を願い二礼二拍手一礼。晴れた日の日課となった。
集会所の前の道路にタヌキのような動物の死体が転がっていた。えらく丸々と太っていて毛並みが艶々【つやつや】している。後で聞くとアライグマとのこと、けっこういるそうだ。役場は休みだが電話をかけると川内野さんが出て、すぐ職員に連絡しますからということだったが、午後には処理されていた。痕【あと】を水で流す。
9時から正午まで補習。
地域デイで、食事の献立からたててもらっている食事作りのボランティアの中心的存在である中島さんから、たった今お母さんが亡くなったと電話が入る。もうすぐ102歳になろうとしておられたお母様であった。
山田(仮名)さんが、集会所に行ったが誰も居なかった。祝賀会は今日ではなかったかと来訪される。山田さん、最近、このように日にちを間違えたり、同じことを何度も尋ねられたりといったことが多くなった。
下川さん、お身内の方の病状が芳【かんば】しくなく、明日出席できなくなったとの断りを言われるためにわざわざ来訪される。
8班長・福田さん来訪。関山さんがどうしても祝賀会に出たいと言われるので、社協(社会福祉協議会)にその旨伝え、当日、ヘルパーさんに車椅子で連れて来ていただくようにしたからとの報告。

昼食後、午後1時から4時まで再び補習。子供たちの学習をみながら祝賀会の小冊子の作成にかかる。
午後4時、集会所には毎月の地域デイサービスでボランティアで食事作りをやっていただいているみなさんを中心に有志の女性のみなさんが集まってこられる。女房どのも張り切って参加だ。
町議会からお祝いの酒が届く。お隣の平島さんが花材と、祝賀会だからとご自分の朱色【しゅいろ】の花器を持参され、見事な生花を完成された。花材の分は町内会で持つからと申し上げるが、自分のお祝いとさせてほしいと言われるのでお気持ちを尊重した。
体育部長の磯本君から、明日夕方6時半から綱引きのメンバー集めに回るとのメールが入る。同行するからと折り返しメールする。
中島さんがいないので、松口さんと横川さんに場を仕切ってもらうようお願いし、料理の下ごしらえに入る。6時過ぎ、ほぼ準備を終える。明朝、8時半集合を確認し、この日はこれまで。有線放送で、祝賀会と朝8時半からの料理作りの案内をする。

帰宅し、祝賀会の小冊子作りの作業を進める。
午後8時、中島さんのお母さんのお通夜に佐世保の飛鳥会館まで出かける。帰宅したのが9時過ぎ、食事をした後、再び祝賀会の小冊子作りにかかる。深夜12時半過ぎ、ようやく完成。
コメント
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