峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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西町町内会敬老祝賀会

2007年10月14日 | 町内会長
朝7時半、正午からの敬老祝賀会開催の案内を有線放送で行う。
8時半、祝賀会に出す料理を作るために女性陣が集まって来られる。総勢20人位になる。中には75歳以上の方も数名おられる。
当然だが、町内会で行う行事・活動には全く強制力はない。出て来ないからといって村八分のようなことも私たちの町内会には全くない。すべて、個々の主体的な考え・行動に基づき行われている。いわば善意の集まりである。だからこそ、このような行事・活動の意義は大きい。

形として「氏子総代」を引き受けていただいている松本さんが早くお見えになられ何か手伝うことはないかと言っていただく。10時から副会長と2人で会場の設営をやろうと打ち合わせているので10時に来ていただくようお願いする。
いったん帰宅し、小冊子の印刷をするため町の公民館まで出かける。表紙・目次・プログラム・出席者一覧・歌詞等7ページ分と別に「もみじ」「赤とんぼ」「故郷の空」など数曲の唱歌の歌詞をそれぞれ50部ずつ印刷。
公民館の管理人さんも敬老祝賀会については一家言【いっかげん】お持ちで、しばし彼の話を傾聴【けいちょう】することとなった。

さて、そこそこに管理人さんとの話を切り上げ、集会所に戻ると、すでに副会長が会場の設営に入ってくれていた。松本さんも駆けつけてくれ、会計の谷添さんも手伝ってくれていたので、私は印刷物をホッチキスで留める製本作業に専念する。すぐに谷添えさんが手伝ってくれた。調理も懸命の作業だ。その間に、お祝いの日本酒とビールが続々と届けられる。
製本作業が終わり調理場をのぞくと、みなさんが声を掛け合いながら、力を合わせ調理に取り組んでおられる。なんともいい光景だ。

すでに時計は11時を回っている。ウクレレを取りに、いったん家に戻る。今年もバンドを組んで何かご披露しようと思っていたが、くるみさんにいい返事をもらえなかったので、1人でハワイアンのスタンダードナンバー「小さな竹の橋で」を歌うことにした。
ギターもウクレレも中学生の頃から手にしているが、このところすっかりご無沙汰である。かつて一時期、図書館で絵本の「読み聞かせ」をする前、ウクレレを手に「鉄腕アトム」を歌っていたのも懐かしい思い出となった。

今回は、趣向を凝らしてハワイアンに相応【ふさわ】しい格好【かっこう】をしてみなさんに喜んでいただこうと思い立っていたのだが、用意をしていなかったのがいけなかった。あるだろうと思っていた所にアロハシャツがない。それではここかと探すが見つけられない。時刻は11時半を回った。ご高齢者が集まって来られる頃だ。女房どのに頼むしかない。
料理作りも追い込みに入っているところだったが、女房どのを呼び出し、探してもらう。さすがは女房どのだ。思ったアロハは見つからなかったが、すぐに別のを引っ張り出してきてくれた。白いズボンもようやく見つけ、アイロンをかけてもらっているうちにTシャツからワイシャツに着替え、ネクタイを締め、集会所に駆けつける。途中、辻さんに呼び止められた。やはり、ご主人の体調が思わしくなく、残念だが出席を見合わせるとのこと。ご祝儀をいただく。

集会所に着くと町長と町議会議長がちょうど到着したところだった。挨拶をして座席への誘導を副会長にお願いする。女房どのもすぐに戻ってきた。受付を頼む。玄関先でご高齢者のみなさんをお迎えしていたら、渡辺さんが、そっとご祝儀袋を渡され、これは披露【ひろう】しないで料理を作られたみなさん方の慰労会にでも使ってくださいとおっしゃる。その他、数名の方にご祝儀をいただく。本当に、みなさんの善意が嬉しい。このような行事・活動を行うことにより、それが発露【はつろ】されるのを感じる。現代社会は、哀しいことに逆に人間の心に潜む悪意を発露させるような風潮【ふうちょう】にある。それを商業主義的マスコミが先導している。

正午ギリギリに配膳【はいぜん】が終わる。朝から料理を作っていただいたみなさんも着座され、副会長の司会で今年度の「西町町内会敬老祝賀会」が始まった。まず、町内会長挨拶。こんな時代だからこそ、一人ひとりの善意が集まって出来る祝賀会の意義深さをお話させていただく。続いて来賓【らいひん】である関町長と川副町議会議長のお2人に祝辞をいただく。引き続き、平島さんの祝舞「松の緑に」、さらに松口さん・藤本さん・天神林さん・高木さんによる合吟【ごうぎん】「故郷」、この後、元町内会長の下利さんに音頭を取っていただき乾杯と続き、ご馳走をいただきながらの歓談に入る。

町長・議長の話し相手になりながらも、ご高齢者やお世話いただいたみなさんの席にうかがい、お祝い・お礼を述べながらお祝いの酒を勧めて回る。ビールを取りに台所に走る。
やがて、みなさんお酒が少し回ってきたころ余興【よきょう】が始まる。先ずは、78歳になられる中村さんの踊り「長崎物語」、続いて91歳になられる伊藤さんの唱歌だ。事前に伺っていたのと異なるのを1曲、興に乗られ、もう1曲「お池の噴水」を手振りをつけて歌われた。伊藤さんが小学1年生のときに習った歌だそうだ。みなが感動した。

町長・議長に広場の必要性を訴えているところへ、そろそろ出番だと副会長から促【うなが】される。和室でアロハシャツに着替え、ウクレレを抱えて登場、「小さな竹の橋で」をみなさんに楽しんでいただく。
「小さな竹の橋で」
Words by Archie Fletcher/Music by Al Sherman/門田ゆたか 日本語訳
小さな橋よ 竹の橋の下 
川の水に 流れてゆく
あの日の夢も 楽しい思い出も
川の水に 流れてゆく 

長い年も月も 水面を彩り
やがては消えてゆく 赤いバラの花びら

小さな橋よ 竹の橋の下
恋も夢も 流れてゆく

その後は、参加者全員で唱歌と懐かしい歌のメドレーだ。先ずは山口さんのリードで鉄道に関する話から始まり「鉄道唱歌」を合唱、みんなが歌える歌があるというのは嬉しいものだ。山口さんが遠慮されて2,3曲で幕を閉じようとなさったのを私が引き継いで、結局プリントした10曲すべてをみんなで歌いきった。
中でも「もみじ」は、みなさんに2組に分かれてもらい輪唱した。これが素晴らしい出来で、互いに大きな拍手をし合う。音楽って、やっぱり、いいな。
その後、興に乗られた下利さんがカラオケに合わせて当て振りで踊られるというおまけまでつき、会場は最後まで大いに盛り上がった。

やがて閉会。ご高齢者をお見送りした後、全員で後片付けを行う。そうして、最後の最後、みなさんを送り出した後、空になったビール瓶・酒ビン、食材などの入っていた空箱をつぶし、まとめて倉庫に入れる。生ゴミを片付けると3袋にもなった。月曜まで保管しておかなければならない。最後の最後、台所の床に雑巾【ぞうきん】をかけ、ようやく終了。時計の針は午後4時を回っている。

帰宅してすぐ2階に登ると、小佐々から来ている中3の子供たち2人が学習に励んでいた。すぐに提出されているプリントをチェックし、間違っているところを説明し、質問に答える。午後1時くらいに来ていたという子供たちは、そうやって6時まで熱心に学習に励み、迎えにきていただいた親御さんの車に乗り帰って行った。親御さんには片道、車で30分もかかるところを送り迎えしていただいている。有難いことである。

その後、6時半から体育部長の磯本君と来週日曜日の大綱引き大会に出場するメンバーを集めに町内会を回る。今回は、その日都合の悪い方が多い。出場選手が25人、そのうち女性5名をそろえなければならない。なかなか厳しい。
一回りし終えたのが8時、きょうはけっこう早かったね等と言い合いながら、この後のことを打ち合わせ、帰途に着いた。

帰宅したのが午後8時半、くたくたになった体を浴室に運びシャワーをあびる。焼酎のロックが五臓六腑【ごぞうろっぷ】に染み渡り、生きている喜びを実感する。長い1日が終わった。
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