峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

耳を澄ますべきは

2012年09月25日 | 私塾

一昨昨日、62歳の誕生日を迎えた。
その日の午後、女房どのと連れ立って長崎大学大学院教育学研究科の准教授で臨床心理士の内野成美さんという方の「今を生きる子供たちの心に寄りそうために」と題した講演を町文化会館に聴きに出かけた。

女房どのと私は、それぞれの仕事で直面する悩める親と子供たちへの寄り添い方、支え方を折に触れ語り合う。その中でいつも思うことがある。それは、その人がその人らしく生きることの大切さだ。
それでは、その人がその人らしく生きるとはどういうことなのだろう。それは、己の命が己に何をさせたがっているのかを自身がよく知るところから始まると考える。

悩み深い子供ほど他者の「リアクション」ばかりを気にする傾向が見られる。ひいては他者の言葉が自身の言動の規範となる。それでは自分らしく在ることが難しい。
あえて言えば、親や先生や場合によっては友だちの言うことなんか聞かなくていいのだ。耳を澄ますべきは、より良く生きようとする自身の内から聞こえる言葉なのだ。孤独を恐れてはいけない。むしろ孤独を愛することを知らなければならない。

生きとし生けるものすべての命に意味があるはずだ。私たちは決して自身のためではなく、誰かのために他者のために生きている。それぞれが他者を喜ばす存在なのだ。そこに自身の生きる喜びがあり、学ぶ意義、生きる意味がある。だから「死んではいけない」のだ。昨夜も、塾生にそんなことを語った。

その夜の夕食を佐世保の「馨【かおり】」という店でいただいた。女房どのと2人、生きる喜びと生きる意味をかみしめながら。

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