峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

記すことの意味

2017年10月25日 | 子育て日記

昨日、母校のボクシング部創部90周年記念誌発刊に関し、少し書いてみようと思い立ち、久し振りにブログを開いてみて驚いた。前日、100名を超える方々が当ブログを訪ねて下さっていたのだ。

3か月のブランクを経てブログが再開されたのが嬉しいですと、このブログを通して知己を得たけんじさんにコメントをいただいてから早3か月、その後もほとんど記していないのも同然の有り様だった。それにもかかわらず、多くの方々が当ブログを開いてくださっている。

当ブログで記すことについては、私自身の在り方を確認するのを第一義においている。だが、公開している以上、お読みいただいている方々は様々に受け止められるに違いない。ならば、書いているものに責任を持つ必要があるだろう。だから私は、ネット上でも本名で通してきた。話がそれた。

けんじさんが、当ブログを訪ねて下さるきっかけは「将棋」だったそうだ。やがて、私の「子育て」に興味を持っていただいたとのこと。
偶然にも、けんじさんと長女・絵理子さんとは同じ職場であり、けんじさんは絵理子さんが信頼を寄せる先輩であり、「けんじ」は絵理子さんの夫と同じ名前であり、家族同士で互いの家を訪ね合う程の交流があり、職場の子育てについて語り合うサークルに2人共所属していることなどが後で分かった。

さて、作家・宮本輝さんが「人の役に立てること」と題した文章の中で、詩人・エミリ・ディキンスンの短い詩を引いておられた。

もし私が1人の生命の苦しみを和らげ
1人の苦痛をさますことができるなら
気を失ったコマドリを
巣に戻すことができるなら
私の生きるのは無駄ではない

そして
ひとりで苦しんでいる人たちがたくさんいる。私のひとことで蘇るかもしれない。道に迷って正気を失った若者が倒れている。私の差し伸べた手で立ち上がれるかもしれない。
それだけが、私が人間として生きた証となるだろう。幸せなことだと思う。
と、宮本さんは結んでおられる。

さてさて、かつて「子育て日記」として記したものを明日から少しずつ載せることにしたい。いくらかでも、けんじさんの子育ての役に立てばと願う。

コメント (2)
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