峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

あの日を忘れない

2006年04月05日 | 町内会長
月曜日の午前中、町主催の招魂祭【しょうこんさい】に出席しました。先の戦争で亡くなられた方の御霊【みたま】をお慰【なぐさ】めする式典です。
この日、昨日までのお天気とは打って変わり、真っ青な空が一面に広がり、穏やかな陽光のもと桜の花が満開でした。

私の父は教員をしていましたが、その父が教頭になる時、平戸の先の大島村という小さな島に赴任しました。
両親と弟と妹、そして私の一家5人は、大島の緑ヶ丘住宅という教員住宅に住むことになりました。その住宅側の道路から一段上がった所が広場になっていて、そこは「ショウコンジョ」と呼ばれていました。今しにして思えば、「招魂場」だったのでしょう。

私は小学1年生から4年生まで、周囲を海に囲まれたこの小さな島で過ごしましたが、さまざまなことが今も鮮やかによみがえります。それほど胸ときめくような、きらめくような島の生活でした。

あの時、父は38歳でした。今、私は、その年齢をはるかに超えています。

町長が記念碑に向かい鎮魂【ちんこん】の言葉を述べ終わりました。こちらに背を向けたまま、ズボンのポケットからハンカチを取り出し目を押さえていました。涙があふれたようでした。彼は物心付く前に父親を戦争で失っていたのです。
町長は子供の頃、この招魂祭にきては、お前んとこの父ちゃんはああだった・こうだったといろんなおじさんから父親の話を聞いたそうです。

この日、町長の他にも多くの遺族の方々がお集まりでした。
戦後61年、戦後はまだ続いています。

写真は、当日の会場の桜です。
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2 コメント

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生まれて 生きて 死ぬ (峰野裕二郎)
2006-04-07 00:06:53
人間は悲しいですね。
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戦後61年経っても・・・・・ (toriton)
2006-04-06 20:23:41
そうだったんですか・・・・・



戦後61年たっても、失われた尊い命はかえってきません。

愚かなことに、人間は今も憎しみ合い、争いや紛争を繰り返しています。

世界のあちこちで戦争が繰り返されています。

たくさんの命が奪われています。



イラク戦争は明らかにアメリカの失政です。

その張本人が、支持率低下の中、未だに政治の指揮を執っている・・・

おかしくないのか?

何人の無実の人々の命が奪われたのか・・・

それが、彼にはわかっていない!

アメリカの政治は、ネオコンに牛耳られている。

人名よりも、倫理よりも、自国の軍需産業のための政治を行っている。

アメリカの政治は、産軍共同体なのである。

ときどき過激なことを思う。

「ゴルゴ13」のような超一流のスナイパーを雇って、

諸悪の根源のネオコンの中心人物を除去してもらいないかと・・・



今日も争いと貧困のために尊い命が失われていく・・・・・

とても残念なことです。



日本でも有事の場合の法制化が国会を通ったようです。

この国はどんな新年をもって政治や外交を行っているのだろう?

一部の軍需産業を太らせるために政治をしてはいないのか?

(三菱重工、小松製作所、播磨重工業、川崎製鉄・・・)



教育に携わるものとして、「絶対戦争はしてはいけない」ことを

子ども達に熱く語り、訴え続けていきたい!!

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