峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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凛として生きた人

2015年05月28日 | 町内会長

ブログを更新できないのは忙しいからだと思い込んでいたが、考え違いをしていた。書こうと思えば書けるのだ。

昨日は午前10時から、同じ町内会で親しくさせていただいたAさんの告別式に出席した。
Aさんは7年前にご主人を亡くされた後、ずっとお一人暮らしだった。Aさんが町内会の班長さんになられ、役員会に出てこられるようになったのが親しくお付き合いさせていただく契機となった。まだ、ご主人がご存命だったから、私が町内会長役をお引き受けして間もない頃のことになる。
Aさんは当時からご病気がちだったが、杖をつきながらもご主人と共に班長役を懸命にこなされた。1年間の班長の任が解ける際、楽しかった。体が言うことを聞いてくれるならもう1年やりたいと、真顔で語ってくださった。

ご主人が亡くなられた後、お一人暮らしになられてからは、町内会の他のお一人暮らしの方同様、時々ご様子を伺いに訪問させていただくようになった。
玄関を開けると、いつも笑顔で迎えてくださった。たくさんの感謝のお言葉をいただいた。折々、町内会の活動や行事に関して有線放送でご案内かけるのだが、その私の声が聞こえてくるのを楽しみにしているといつもおっしゃってくださった。

お酒がお好きで、たまにお気に入りのお酒をいただいた。私も、旅行などに出かけることがあれば、お土産を買ってきてはお持ちするようになった。
気位が高く、凛とした人だった。単に「お一人暮らしのご高齢者」と町内会長・民生委員という関係ではなく、友人としてお付き合いいただいたように思う。

その後、入退院を繰り返された。最期は自宅でというお思いがお強かったが、それが難しいと今月に入り入院された。病院に2度見舞った。私の手を握り、いろんなことをお話された。いつになく饒舌でおありだった。最期が近いのを、お覚悟しておられるのだと思った。
間もなく、最期はやはりご自宅でとのご希望からご自宅に戻られた。ご自宅に戻られる前日、その旨お電話をいただいた。翌20日水曜日ご自宅にお戻りになられ落ち着かれたころを見計らい訪問させていただいた。やはり、手を握りしばらくお話させていただき、また、お顔を見に来ますからとお暇したのが最後になった。こんなに早く逝かれるとは思いもしなかった。
帰宅されてわずか5日目の25日の月曜日の夜、静かに息を引き取られたと喪主の姪御さんからお聞きした。享年83歳、見事な最期でおありだった。

頼りにしていますからと口癖のようにおっしゃっていた。出来る範囲でお応えしてきたつもりだったが、帰宅されてからの5日間、どうして毎日訪問してさしあげなかったかと悔いを残してしまった。
告別式も終わりに近づく頃、急に涙が溢れてきた。最期のお別れに、みなさんと共に棺に鶴の折り紙と薔薇の花びらを入れさせていただいた。涙がとめどもなく流れた。

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