峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

ジャーニーよ 何処へ

2007年05月22日 | 暮らし
中村勘三郎さん所得隠し、3年で2000万円 国税指摘(朝日新聞) - goo ニュース

あえて、役者にモラルを求めるつもりはありません。演ずること自体、ある種狂気なのですから。
しかし、他のことならともかく、金銭にまつわる不祥事とは興ざめです。それが、こともあろうに今、最も刺激的な役者の一人である勘三郎さんというのですからショックです。
先日、噺家【はなしか】・林家正蔵さんの同様の不祥事が明るみになったばかりでした。

かつて、我が家の子供たちが幼かった頃のことです。朝、起きてから保育園に連れて行くまでの時間、子供たちと一緒に、よく教育テレビを見ていました。中でも強く印象に残っているのがグッチ裕三さんの『ハッチポッチステーション』です。子供たちが大好きでしたが、私も大好きでした。その中で人形キャラクター・ジャー二ーの声をやっていたのが林家正蔵さん、当時の林家こぶ平さんです。グッチ裕三さんとの絡【から】みがホントに面白かったのです。林家正蔵さんの落語はともかく、ジャーニーは面白かった。

政治家を始め、信頼を寄せられるべき人たちの金銭にまつわる醜聞には悲しいけれど慣れっこになりましたが、役者や落語家のそれはさすがに応えます。
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私の趣味

2007年05月21日 | 町内会長

昨日朝、町内会の厚生部の方が集会所の鍵を取りに来られました。先週の日曜日に作ったゴキブリ団子のうち、集会所用のものを各所に置く作業をするためです。私も手伝うことにしました。
先ず、ダンボールの上にビスケット大の大きさに並べて載せたゴキブリ団子をハサミかカッターナイフで1個ずつ切り離していくのですが、これがなかなか大変です。ダンボールは丈夫にできています。

一通り終わったところで、私は集会所そばの「小浦自然公園」の草刈に取り掛かりました。2時間ほどかかりましたが、公園入り口周辺をすっきりさせることができました。

小浦自然公園入り口前に5,6年前、瀟洒【しょうしゃ】なアパートが建ちました。そのアパートの6軒のうち半数のお宅に町内会に加入していただいています。
昨年度・今年度とこのアパートに住んでいるお宅に班長を引き受けていただきました。いずれも小さいお子さんのいる若いご夫婦です。
折に触れ、町内会に溶け込んでいただく努力を続けてきましたが、今や立派な西町町内会員です。
子供たちとも仲良くなりました。いい陽気に誘われて表に出てきていた子供たちに近寄っていくと、私のかけている防護用のメガネが気になったようで「これ何?」と聞きます。「このつぶらな瞳を守るためのメガネ」なんて、やり取りをする仲です。

正午になったので帰宅しようかと思ったのですが、90歳になられるお一人暮らしのお宅が気になっていたので、ついでだからと草を刈ることにしました。
と、そこへメールが入りました。女房どのからでした。くるみさんと、彼杵【そのぎ】の道の駅までドライブしてくるというものでした。私が途中で引っかかっると長くなるのは毎度のこと、それを見越して休日らしいことをしたくなったのでしょう。それに、私に思う存分やってくれということでもあります。
そこで、先のお宅の庭が済んだ後、一気にお隣さんの庭の草も刈ることにしました。お隣の草刈は「和風庭園保存会」のつもりでやっています。「私が美しい庭園を守らなければ」というような軽い思い込みがあります。

結局、お隣の立派な庭園がよみがえったときには夕方3時半近くになっていました。庭仕事は本当に気持ちいいものです。庭も私の心もスッキリです。このフレーズ、この前も使ったような気がしますが、庭仕事終了時の私の気分を表すのにピッタリです。

シャワーを浴び、遅い昼食をとろうとしたとき、女房どのとくるみさんが「ただいま~」とお土産を提げて帰ってきました。

いい日曜日でした。

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新しい思想・実践

2007年05月20日 | 町内会長
先週は、来月行う町内会「のんびり温泉・日帰り旅行」や、今週金曜日に実施するご高齢者のための「皿山【さらやま】公園ミニ旅行」の案内で町内会を走り回っていました。

そんな中、嬉しいことが2つありました。1つは金曜日に教養部長さんを訪ねたときのことです。教養部長の上田さん【仮名】は多趣味な方で詩吟【しぎん】とか書をたしなまれます。教養部長に適任と、就任をお願いした経緯があります。
2つの旅行の話の後、上田さんが今年の教養部の活動について、町議会の傍聴とごみ処理場の見学を考えたのだが、どうだろうかという相談でした。
「待ってました!」です。
経済至上主義・拝金思想・ことなかれ主義・自分さえよければという思想に損【そこ】なわれてしまった私たち、そのことが隣近所との結びつきを弱め、町内会から活気や力を奪い取ってしまいました。
しかし、自分だけの・我が家だけの真の楽しさとか、安全とか、幸福なんてありません。みんなが楽しいから私も楽しい、世界中が平和だから日本も安全、周りの幸福があって私の幸福があります。

先日の地元の小学校・1年3組で私が絵本の「読み語り」をしたことを、女房どのは毎日発行している自分のクラスの学級通信に載せたそうです。すると翌日、ある保護者が知ってましたと連絡帳に書いてよこしてくれました。
私が「読み語り」に行った学校の1年3組に居合わせた男の子のお母さんと、女房どのが勤める学校で受け持っている男の子のお母さんがたまたま友だちで、楽しかった「読み語り」のことを家に帰った男の子は、一生懸命お母さんに話しました。そのことをお母さんは、友だちである女房どののクラスの子供のお母さんに話したのでした。そこで、その「読み語り」のおじさんと友人の子供の担任とが夫婦であるとつながったのです。
連絡帳には、続けて「自分のことのように嬉しかった」と記してあったといいます。

あの朝、読み語った絵本は、宮西達也さんの『おっぱい』の他、マーシャ・ブラウン 絵/せた ていじ 訳『三びきのやぎのがらがらどん』・かんざわ としこ 文/やぎゅう げんいちろう 絵『たまごのあかちゃん』・なかがわ りえこ 作/やまわき ゆりこ 絵『おはよう』・中川ひろたか 文/村上康成 絵『おおきく なるって いうことは』の5冊でした。

最初の『おっぱい』でゲラゲラ大笑いした子供たちは、2冊目の『三びきのやぎのがらがらどん』になると、固唾【かたず】を呑【の】み、身を硬くして絵本の世界に引き込まれていきました。
『おっぱい』では、子供たちと一緒になり、笑っていた先生でしたが、全ての子供たちの絵本の世界に引き込まれる様を横から見て驚いたようでした。やがて引き出しからカメラを取り出し、子供たちのその様を撮りはじめました。
まだ若い先生でしたが絵本の持つ力を感じることができたとすれば、先生自身と子供たちにとってどれほど幸せなことかと思います。

このようにして、その朝の絵本の「読み語り」は続きました。
あの朝、あのクラスにいた全ての者が楽しく豊かで幸福な時間を過ごすことができました。みんなが楽しかったから、その男の子も楽しくてたまらなかったのです。その幸福な気分を誰かに伝えたくて、下校した後、お母さんに話したのです。
楽しかった絵本とその時間・空間を一生懸命伝える子供を見て、心を動かされたお母さんは、そのことを友人に話さないではいられなかったのでしょう。

そうして、回りまわってその話は私のところまで届き、再び、女房どのと私は嬉しい思いに浸っていられるのです。
みんなが幸せな思いでいられたから私の幸せがあります。

すっかり、話がそれてしまいました。本題に戻ります。
町内会が活性化するためには、それぞれの役割を担う人たちが、活動に主体的に取り組むことが肝要です。みなさんにそのことを意識して丁寧【ていねい】にお話してきました。そして、それが少しずつ芽を出し始めていることを感じてきましたが、上田さんの話は、それがしっかりと根を張り出したことをうかがわせるものでした。
「やりましょう!」と激励させていただきました。

もう1つは土曜日のことです。
「皿山公園ミニ旅行」について、有田さん【仮名】と話した後、花の話になりました。有田さんは、花をたくさん育てておられます。いろいろと町内会のために花で貢献していただいています。
話しているうち、たくさんあるポピーの苗を国道沿いの歌壇に植えようということになりました。

毎年、7月の始めにポーチュラカを植えます。行政に苗や肥料を出してもらい、維持管理作業を町内会で引き受けています。ポーチュラカは乾燥に強く、長く花を楽しめるので冬の花が終わりの頃、バトンタッチにおあつらえ向きの花なのです。

ポーチュラカまでのつなぎに、ポピーをということなので、なるべく早いほうがいい、1人でこの日植えるからと有田さんは言います。好天の土曜日の午後だから急きょご案内かけても人が集まるだろうかと思いながら、有線放送でお知らせしました。

案の定、好天につられてお出かけの方が多く、時間前に2人の方に古い株を抜く作業をしていただきましたが、耕し、肥料をまき、植え付け、水やりを3人で行いました。
しかし、話は最初から自主的・主体的なものでしたから、3人は楽しく作業を行うことができました。
さらに、嬉しかったのは、仕事中、車で通りかかった遠藤さん【仮名】が車から「おつかれさま~」と声をかけてくれていたのですが、作業終了時、再び車で通りかかった遠藤さん、車を止め、冷たい麦茶を差し入れてくれたのです。
              

自分だけの幸せを考えて暮らしていたのでは、このような喜びを味わうことなどできません。
それが喜びだから「やれる人がやる」、だから「やれない人を咎【とが】めない」他者に寛容な町内会で在りたい思います。
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かけがえのない命

2007年05月19日 | 暮らし
容疑者、両手上げ突然外へ 囲む捜査員に抵抗せず(朝日新聞) - goo ニュース

ようやく、しかし、尊い犠牲を払って、一応、事件は収束を見ました。

今夕、この事件を伝えるニュースをテレビで聞いていると、キャスターが解説者に警官の命が奪われたのに、何故、犯人の命は大事にされなければないのかというような意味のことを興奮気味に語りかけていました。

決して彼だけではなく、私が聞く限り、この事件について語るキャスター・コメンテーターの論調は、警察は何故もっと早く強行手段にでなかったのかというものばかりです。

だが、そう主張する人たちは、その時、誰かが殺人者になることを想像しているのでしょうか。それが命令であったとしても、それが仕事だったとしても、人を殺したという事実に、彼がそのことで生涯苦しまなければならないかもしれないことを承知で、それでも、そう言っているのでしょうか。

死刑囚の執行係官は、仕事だからといって平気で職務を遂行【すいこう】しているのでしょうか。戦場の兵士は、戦争だからといって人を殺し、その後、安穏【あんのん】とした人生を過ごせるのでしょうか。

犯人であろうが誰であろうが、人の命に変りはありません。

今年もサボテンの花が咲きました。この世のものとも思えないほどの美しさです。
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頑張れ 若者

2007年05月18日 | 私塾
夕方、佐世保北高校の2年生になる太田くん(仮名)から、今夜、行ってもいいですか?とメールが入りました。

こうやって、塾生だった子供たちと連絡を取ったり、悩みの相談を受けたりするのにケータイのメールを重宝【ちょうほう】しています。
私の場合、ケータイを電話で使うことはめったにありません。ほとんどがメールです。
家族との連絡にもメールは欠かせません。私たちは直接顔を合わしてよく話しますが、メールでもよく伝え合います。

太田くんは、中学生の頃から空手をやっています。空手を続けたいからと空手部のある北高に進学しました。この前、遠征で熊本に行ったからとお土産を持ってきてくれました。優しい若者です。
文武両道、頑張っています。

この夜も、つまらない私の話をたっぷり聞かされて彼は帰っていきました。途中でブログの話になると、すかさず「見ています」と彼、彼のように、こんなつまらない私の影響を積極的に受けようとする奇特な若者がいます。

今夜は、太田くんのことを書くからねとの約束をしました。
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棋士2人

2007年05月17日 | 将棋
今期の将棋名人戦、ここまで森内名人1勝、対する挑戦者郷田九段2勝で、きょう第4局の1日目を迎えています。
残念なことに、きょうはテレビ観戦ができなかったのですが、郷田九段が勝てば一気に有利になり、森内名人が勝てば、完全に流れが変わるでしょう。したがって、ここは両者とも何が何でも勝っておきたいところでしょうから、気合十分だったに違いありません。
明日は、時間をやりくりして勝負の行方を見届けたいものです。

さて、先のNHK杯は阿部八段橋本七段戦でした。
どちらの棋士も私にとってはご縁のあった棋士で、懐かしくそのときのことを思い出しながら観戦しました。

阿部八段は、02年の第15期竜王戦、当時の羽生竜王に挑戦者として名乗りを上げました。何局目かは忘れましたが、そのタイトル戦が佐世保で行われました。
前夜祭で阿部八段への花束の贈呈役をさせていただいたのが当時、中学1年生の有紀さんでした。

プロ棋士間では、阿部さんは相当気の強い、変人っぽい人のように思われている節がありますが、それは盤に向かっているときだけのように思われます。実は、大変柔和でとても温厚な人柄のように感じました。

橋本七段も02年に佐世保に来られました。何のイベントだったかはちょっと思い出せませんが、とにかく島ノ瀬公園で深浦八段を始め数名の棋士の皆さんに多面指し(1人で数名の人を相手にすること、あの日は15人位だったか)をしていただいた後、佐世保で将棋のイベントがある際、縁の下の力持ちになる将棋連盟佐世保支部の世話役さん3人とプロ棋士の皆さんの夕食の席に私もご一緒させていただきました。
プロ棋士の皆さんは、深浦八段・浦野七段千葉五段・橋本七段だったでしょうか。
佐世保に来ていただいているのだからと魚料理を食べに行きましたが、座敷の席で隣りあわせで座ったのが橋本七段でした。

彼は当時、20歳になるかならないかの頃(なっていたということにします)でしたが、こちらの勧めるままにビールや酒をぐびぐびと飲んでくれ、これは地酒かなどと聞いたりしていました。今でも飲んでいることでしょう。食欲も旺盛で出されたものをきれいにたいらげました。
飲むのも食べるのも気持ちのいい青年でしたが、人柄も、とても気持ちのいい青年でした。

いろいろ話しましたが、特に印象に残っているのが、彼は、なるべくしてプロ棋士になった人なのだということです。
彼が物心ついたときには、周りはお父さんはじめ将棋を指す人たちばかりだったといいます。日常の中に将棋があり、将棋を指すことが日常だったようです。
結局、彼は高校進学をせず、プロ棋士の道を目指すことになりますが、それはごく自然のことだったといいます。他の道を考えることなどまったくなかったと言っていました。

その翌日、若干二十歳の橋本当時四段は、有紀さんとくるみさんに「創志」という言葉を贈っています。

彼は、プロになってすぐから髪の毛の色を赤くしたり金色にしたり、また、服装もちょっと変わったものを着ていました。そのことでそのように見られがちなことがあるかもしれませんが、実は気さくで明るく、礼儀をわきまえた青年です。

あれから5年、あっという間に七段まで駆け上がってきました。順位戦はB級2組ですが、竜王戦は1組です。
今期も、ここまで対局数・勝数が2位、連勝ランキングも8位に名を連ねています。

阿部八段も昨期、順位戦A級へと上り詰めました。竜王戦はやはり1組です。
これからのいっそうの活躍が期待される2人です。
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ずれてる父親で在りたい

2007年05月16日 | 父親と子
こともあろうに17歳になる高校3年生の我が子によって生命を絶たれた母親は、明るくまじめで、はつらつとして、仕事もでき、後輩の手本になるような人だったと職場の上司も近所の人も口をそろえます。

子供については、小学生の頃は明るく素直で、勉強が出来、元気よく挨拶をする子だったと近所の人は語り、暗くて無口なタイプと高校の友人らは話します。
同様の事件での被害者・加害者である親と子について語られる印象とほとんど同じです。

それにつけても思い出すのが、もう、ずいぶん前になりますが、クドカンの愛称で呼ばれる脚本家で俳優の宮藤官九郎【くどうかんくろう】さんが、それが何だったかは忘れてしまいましたが、テレビのトーク番組で語った彼の父親の話です。
クドカンさんは、ちょっとずれている父親のおかげでぐれなかったと語っています。

彼の思春期の頃の思い出話なのですが、宮藤家では大晦日【おおみそか】の夜に「我が家の10大ニュース」をやっていたそうです。ところがお酒の入ったお父さん、途中から裸になって「ドスコイ、ドスコイ」
親戚の集まりのお開きでもやはり裸になって「ドスコイ、ドスコイ」

その姿を見てクドカンさんは、やっぱりぐれてもしょうがないと思ったといいます。

一般的に、どちらの親が「いい親」と言われるでしょうか。
「いい親」が子供を壊し、酔っ払って裸踊りをする親が、子供がぐれるのを思いとどまらせました。
「常識」というのは、これほどいい加減なものなのです。

厄介【やっかい】なのは、制度や仕組みを作り、それを実行する立派な立場の人に限って「常識」で凝り固まった人が多いという現実です。
したがって、今のままの「常識」で、立派な「常識」ある大人たちが寄ってたかり、相当の予算を当て制度や仕組みをいじっても、悪くなることはあってもよくなることはないでしょう。

そして、事件は繰り返し起きています。

今朝、地元の口石小学校へ図書館ボランティアの仲間と「読み語り」に行ってきました。きょうは1年生のみなさんが聞き手です。私は3組のみなさんに見て、聞いてもらいました。
最初に、みやにし たつや/作・絵「おっぱい」を読みました。この絵本の表紙の裏側には「有紀ちゃんとくるみちゃんへ」の宮西さんの直筆のサインが記してあります。宮西さんを佐々町へお招きした際にいただいたものです。歓迎会のあの夜、雷【かみなり】がすごかったのを思い出します。

おっと、横道にそれました。
で、最初のページ「おっぱい」と読んだだけで、子供たちウケてます。

ぞうさんのおっぱい、ねずみさんのおっぱい、ゴリラさんのおっぱい、ぶたさんのおっぱい、ときて「やわらかくて あったかい おかあさんの おっぱい」「ぼくが このまえまで のんでいた おっぱい」「おおきく、やさしく、つよく、げんきなこにしてくれた ぼくの だいすきな おっぱい」

最後は、みんな大ウケでした。
私たち人間の親子の関係は複雑になり過ぎました。ぞうさんや、ねずみさんや、ゴリラさんや、ぶたさん親子のように、私たち人間の親子関係も、もっとシンプルであるべきだと考えます。
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壊された人間性

2007年05月15日 | 家族
「母親殺害」高3自首 頭部見せ「殺した」 母の誕生日になぜ…(産経新聞) - goo ニュース

女房どのと私の間には、長女である絵理子さんの下に裕理子【ゆりこ】さんという子供がいます。常識的に申し上げるならば「いました」ということになります。
訪れてくださる方の混乱を招かないように我が家には長女の絵理子さん、次女の有紀さん、三女のくるみさんの3人の娘がいますと記してきましたが、本当は長女の絵理子さん、次女の裕理子さん、三女の有紀さん、四女のくるみさんの4人姉妹なのです。私は、いつも裕理子さんを感じて生きています。

例えば、こんな風にです。
5月に入り、穏やかな天気の続く日がありました。午前中、洗濯物を干そうと庭に出ると、1匹の熊蜂【くまばち】がどこからともなく飛んで来て、私のすぐ近くを私と遊ぼうというように飛ぶのです。
もちろん、裕理子さんがいるのを感じます。写真を撮ろうといったん家に入り、デジカメを手に戻ってくると、再び、スッと寄って来ます。デジカメを構えると写してくれと言わんばかりに空中の一点に止まり、ポーズをとってくれます。こうやってしばらく遊んいると、別の熊蜂がスッと彼女のそばにやってき、2匹はじゃれ合うようにしてもつれ合いながら、やがてどこかへ飛んでいくのです。3日間ほど続きました。

今は、このようにして私たちのそばに裕理子さんが普通にいます。しかし、彼女がこの世を去ってしばらくは、女房どのと2人で泣いて暮らしていました。特に女房どのは10年近く、折に触れ涙を流していました。

人として、子供に先立たれるほどの悲しみはないように思われます。
なのに、こともあろうに、親が子供の手に掛けられるなんて、このような不幸があっていいのでしょうか。

14歳以上の子どもによる実父母の殺害は97~04年までは年3~9件だったのが、05年に17件に急増しているとの報告があります。
なぜ、子供が親を殺すのでしょう。

子供は親によって、あるがままを受け入れられ、親の慈【いつく】しみを受ける中で心安らかに成長していくものでしょう。それが自然の摂理にかなった親子の在り方だと思います。
 
人には、限りない可能性があります。私は子供と向かい合うとき、彼ら自らが伸びようとするのを邪魔しないよう自身を戒めてきました。それは、人には等しく限りない可能性があることを信じるからです。

人が能力を先天的に宿しているのか、あるいは後天的に身に付けるのか、それはともかく、あらゆる子供たちに思いやりの心の育つ可能性はあるのです。

かわいそうに、彼の可能性は膨らむことがありませんでした。彼の人間性は壊されてしまったのです。

苛烈な競争社会のサバイバルレースの中で多くの父親が傷つき、人間性を喪失させてしまっています。
また、多くの母親は商業主義に踊らされ「教育」を消費し、勉強勉強、「よりよい」幼稚園、「よりよい」中学、「よりよい」高校、「よりよい」大学へと、それが子供を追い込んでいるとの自覚もなしに、むしろ不幸にも、それがかわいい子供の幸福へとつながる道なのだと思い込んでいるのです。そこに悲劇の始まりがあります。多くの母親もまた、人間性を壊されてしまっているのです。

彼の母親は、彼の手に掛かる瞬間、何をどう思ったでしょうか。

私たちは、失った・壊れた人間性を一刻も早く回復させなければなりません。

写真は、あの熊蜂さんです。
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住民による住民のための町造りを始めよう

2007年05月14日 | 暮らし
地域活力 1位長崎市 成長度は佐々町トップ 親和経済文化研究所 独自に算出(西日本新聞) - goo ニュース

周囲の町村が政府の口車に乗って合併を急ぐ中、佐々町は今のところ単独の道を歩んでいます。

佐々町は、かつては炭鉱の町として栄えてきました。しかし、石炭から石油へというエネルギー革命により炭鉱は閉山、人口は激減しました。
だが、時代の波に飲み込まれることなく、その後、地の利を生かし、佐世保市のベッドタウンとして北松浦郡の中核的な町として発展してきました。
平成22年には長崎自動車道につながる西九州自動車道の佐世保・佐々間が供用されます。それを見越しての埋立地への企業誘致も順調に進み、若い人たちの雇用の場も広がっています。
それを証明するように、佐々町の人口ピラミッドは日本の平均的な壺【つぼ】状ではなく円柱状である、と町長が先日の交通安全母の会で言っていました。

住民が自立し、さまざまなことに主体的に関わっていくと同時に、行政と住民が知恵を出し合い、力を合わせることで、小さくても豊かで暮らしやすい独自な町を創造することは可能だと考えます。

ところで、昨日の母の日の話で、有紀さんからは特に何もなかったと書きましたが、有紀さんの名誉のために訂正いたします。
昨夜11時頃、有紀さんからメールがあったことを今朝、女房どのに聞きました。健康に気をつけてほしいこと、いろいろとお金がかかって申し訳なく思っていること、勉強を頑張ることなどが記してあったそうです。

我が家の子供たちは、私たちが育ったところから育っています。つまり、人間として少なくとも私よりも上等であるということです。それを、私の基準で彼女の年齢では母の日まで気が回らないのだろうなどと判断してしまいました。私に思い上がりがありました。

有紀さん、よく育ってくれました。有難う^^
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母の日に

2007年05月13日 | 家族
きょうは、月に1度の町内会清掃の日でした。
昨夜、雨が降っていましたが、夜が明けると空はからっと晴れ渡っていました。いつものように午前7時に有線放送でその旨お知らせし、町内会を回りました。
木々の緑が濃さを増し、初夏のさわやかな空気がなんとも気持ちよく、清掃に励むみなさんにかける声も弾みます。

掃除に引き続き、毎年恒例となっている「ゴキブリ団子」作りを、厚生部長さんを中心に行いました。全所帯分作り、各班長さんがそれぞれの班のみなさんに配ります。
この「ゴキブリ団子」ご存知でしょうか。実によく効きます。ピタッとゴキブリの姿を見かけなくなります。ただし、ゴキブリにとって毒というのは、人間にとっても毒ということですので、取り扱いには注意が必要です。

みなさんがゴキブリ団子を作っておられる間、集会所前の空き地の草刈をしました。五月晴れの空の下、刈払い機のエンジン音も快調に、雑草と共に心の中のモヤモヤもきれいに刈り取られていくようで、なんとも爽快【そうかい】です。
もう少しで刈り終わるという頃、ゴキブリ団子作りは完了、それぞれ手分けして持ち帰られました。

集会所前の空き地の草刈が終わる頃、私のやる気のエンジンがかかってきました。朝の掃除のとき、他の空き地で、手で草を抜いている班がありました。鎌で手伝ったのですが、ほどほどで切り上げましょうということで終わっていました。
そこで、集会所前の空き地を済ませた後、その場所の草刈に向かいました。

汗を流して働くと、働いたなぁ~という実感が腹の底から湧いてきます。私の体の中には、間違いなく農耕民族の血が流れています。労働を喜びとする真っ赤な血が流れているのです。

作業が一段落する頃には、時計の針が午後1時に差し掛かかっていました。きょう、女房どのの小学校は運動会です。したがって、お昼ご飯はくるみさんと2人きり、女房どのが用意してくれていた食べきれないほどのご馳走をいただきました。

ところで、きょうは「母の日」でしたね。
82歳になる私の母親は、車で20分ほどの所に一人で暮らしています。「母の日」については毎年、女房どのに任せっぱなしです。
今年も、前もって何かプレゼントの品が用意されていました。この日、女房どのが運動会(その後、慰労会)ということで私が時間を見計らい、その品を持参しようと土曜日に電話を入れました。
ところが、母親は相変わらず忙しくしているのです。日曜日がだめなら月曜はというと、月曜も予定が詰まっているらしく、なんだかごちゃごちゃとそれを話していました。結局、週が明けてから、そのうち電話するからということで受話器を置きました。
私の母親は、いったい、いくつになったら穏やかなおばあちゃんになるのでしょう。

北九州市に住む絵理子さんからは、女房どのにカーネーションが届きました。大村市に住む有紀さんからは、特にありません。学校・寮での友人関係が密で、高校3年生になり勉学にも熱が入ってきたようで、「母の日」まで気が回らないのでしょう。彼女の年齢では、それが自然だと思います。

さて、家に居るくるみさんは、どうだったのでしょう。
後ろで、テレビを見ている2人に訊くと「母の日、おめでとう」とは言ったようです。ただし「朝、言った」「いいや、さっき帰ってきたときに言った」と言い争っています^^

絵理子さんからは、お父さんとお母さんには本当に感謝しているとメールがあったそうです。有紀さん・くるみさんが絵理子さんの心境になるまでには、もう少し時間がかかるのでしょう。
もっとも、こちらは、そんなことなど少しも期待していたりするものではありません。

写真は、絵理子さんから贈られたカーネーションです。
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