峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

結婚記念日

2007年05月02日 | 家族
昨日5月1日は、私たち夫婦の結婚記念日でしたが、今回はいつもとは異なる感慨にふける結婚記念日となりました。

一昨日、山歩きから帰り、公民館でちょっとした後片付けをして帰宅し、玄関のドアを開けると、美しいバラの花束が目に飛び込んできました。
とっさに、長女の絵理子さんからだと思いました。
絵理子さんは毎年、母の日のプレゼントに花束を届けてくれます。それが、間もなく母の日だという、確かにどこかで耳にした、おそらくはテレビの何かの広告なのですが、しかし、曖昧【あいまい】な記憶と結びつき、そう思えたのでしょう。

居間へのドアを開けながら「母の日のプレゼント?」そう、女房どのに声をかけると、「メッセージ、見えなかった?」との応えです。
この頃、夕暮れが迫り、花束の置いてある廊下はすでに、薄暗くなっていました。もちろん、そればかりではありません。老眼鏡をかけなければ、屋内で新聞を読むのも困難になっています。過日、気まぐれに「あなたの精神年齢は?」というのをやってみたところ22歳と出ました。これを喜ぶべきか悲しむべきか、それが問題です。
精神年齢はともかく、老化は確実に進んでいます。

花束に添えられたカードには「☆お父さん・お母さん、結婚記念日おめでとう☆ 絵理子より」とありました。

まさか、結婚記念日に娘から祝福を受けるなんて、思ってもみないことでした。
「娘に結婚記念日を祝福してもらえるなんて…。私たちの子育ては大成功でした。本当にありがとう」とメールを送ると、「おめでとうございます。20日過ぎに帰省する予定なので、またお祝いしましょう」と返信がありました。
女房どのは女房どので、すでにメールを交換したようでした。

絵理子さんの心に余裕が生じてきているのが感じられます。
どうか、ゆっくりと主体的に生きていってほしいと願います。いい人生を!ねっ、絵理子さん。
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応援団長

2007年05月01日 | 父親と子
日曜日、空は晴れ渡り、風もなく、絶好の体育祭日和となりました。
午前9時、いよいよ各組に分かれた生徒たちの入場行進です。選手団の先頭を切って、くるみさんたち赤組の入場です。
決して大きくないくるみさんが大きな団旗を掲【かか】げ、大きな男の子たちを始め赤組選手団を率【ひき】います。堂々の行進でした。
ちなみに、団旗のポールはアルミ製の物干し竿【さお】、ずいぶんと重かったそうです。グランドを1周した後、整列し、団旗を地面に下ろしたときには、さすがにホッとした表情がうかがえました。

昼食をはさみ、午後の部の最初のプログラムが応援合戦です。くるみさんたち応援団は、この瞬間のために約2週間、全精力を注ぎ込んできました。
そんな中、応援団長として団員を引っ張って練習に精を出すくるみさんに、先生たちは、いろいろと励ましの声をかけてくれたそうです。「見直した」と胸のうちを明かしてくれた先生もいたそうです。
普段、優等生であることを嫌い、先生たちに対して斜に構えているようなところもあるくるみさんでしたが、応援団長という役割を果たしていく中で、彼女の新しい面が引き出されたのでしょう。

家では、3人姉妹の末っ子で、お姉ちゃんたちにはいつまでたっても子供扱い、女房どのも可愛い、可愛いだけです。
しかし、団長としてクラスをまとめ、最上級生として後輩を指導し、赤組全体をまとめるという大役を見事に成し遂げたくるみさん、きっと、学ぶことが多かったことと思います。

この日、くるみさんは応援団長のほかに、剣道部の一員として、はかま姿での部活動リレーに出場、学級対抗リレー、フォークダンス、団体競技、100m走、その他にと完全燃焼できたようでした。

体育祭終了後、「打上げ」と称し、クラスの全員と夕食を共にしたようでした。
3年生になった当初、クラス替えのため親しかった友だちとばらばらになったことで、おもしろくないようなことを言っていましたが、大きな行事を経て、新しいクラスの仲間との絆【きずな】が芽生えてきているようです。
コメント (2)
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