国道186号線を少しばかり歩いたところで、
広島新四国八十八ヶ所霊場第四番の薬師寺はこの辺りだなと思った時に、
「史跡浅生塚入口」の石柱をみましたので、お寺と関わるがある塚なのかと思いましたが、
史跡というからにはそれなりの人物の塚なのだろうと思い、見逃さないようにと思いました。
志太野坡は、江戸時代前期の俳諧師だそうです。
号が浅生(あさお)庵などだそうで、蕉門十哲の一人とされ、「軽み」の俳風では随一ともいわれた人物でした。
淺生塚(志太野坡塚)
広島ぶらり散歩「文学碑など」編
広島新四国八十八ヶ所霊場第四番の薬師寺はこの辺りだなと思った時に、
「史跡浅生塚入口」の石柱をみましたので、お寺と関わるがある塚なのかと思いましたが、
史跡というからにはそれなりの人物の塚なのだろうと思い、見逃さないようにと思いました。
志太野坡は、江戸時代前期の俳諧師だそうです。
号が浅生(あさお)庵などだそうで、蕉門十哲の一人とされ、「軽み」の俳風では随一ともいわれた人物でした。
淺生塚(志太野坡塚)
広島ぶらり散歩「文学碑など」編