2月。早起きで始まりました。中学受験の生徒のために応援に試験場に。もう何年してきたのでしょうか。昨年は体調を崩しました。そろそろ引退なのでしょう。帰宅後眠いのを押して教会の分かち合いの会へ。
教会で生徒の合格を祈りました。奇跡ともいうような合格をこれまで何回も出してきましたが、それにはやはり厳しい指導が必要でした。子供たちは1度は泣きました。それでよかったのだろうか?初めてそんな疑問が湧きました。自分のスタイルとして指導形式を貫いてきましたが。
「道はひとつではない」そんな声が聞こえてきました。NHKの大河ドラマ「女城主 直虎」のなかで小林薫が演じる南渓和尚が言った言葉でした。私はなんでも自分の道しか「道」ではないように生きてきた気がしました。たしかにキリスト者として「許容」の範囲は広くなりました。でも、目的地へ行く道がひとつではないことを本当に認めてきたのでしょうか。別に目的地に行くことでなくても、人には人それぞれの道がある。そんなことを人にも自分にも気づかずにいたように思いました。
分かち合いの会から帰り、生徒の合格を聞くと疲れがドドッと出てきてそのまま布団の中へ。分かち合いの会は今日も「井戸端会議」。それでも気がつけばそこには「神」がいらっしゃる。そんなことをシスターが教えてくださった。ぐーたらでも「愛」があればいいや、と朝と同じメニューの夕食を二人の食卓に並べました。楽しい食事に道はひとつではないと 言いながら。
教会で生徒の合格を祈りました。奇跡ともいうような合格をこれまで何回も出してきましたが、それにはやはり厳しい指導が必要でした。子供たちは1度は泣きました。それでよかったのだろうか?初めてそんな疑問が湧きました。自分のスタイルとして指導形式を貫いてきましたが。
「道はひとつではない」そんな声が聞こえてきました。NHKの大河ドラマ「女城主 直虎」のなかで小林薫が演じる南渓和尚が言った言葉でした。私はなんでも自分の道しか「道」ではないように生きてきた気がしました。たしかにキリスト者として「許容」の範囲は広くなりました。でも、目的地へ行く道がひとつではないことを本当に認めてきたのでしょうか。別に目的地に行くことでなくても、人には人それぞれの道がある。そんなことを人にも自分にも気づかずにいたように思いました。
分かち合いの会から帰り、生徒の合格を聞くと疲れがドドッと出てきてそのまま布団の中へ。分かち合いの会は今日も「井戸端会議」。それでも気がつけばそこには「神」がいらっしゃる。そんなことをシスターが教えてくださった。ぐーたらでも「愛」があればいいや、と朝と同じメニューの夕食を二人の食卓に並べました。楽しい食事に道はひとつではないと 言いながら。