日曜日、久しぶりにミサに行くことができた。7.5.3の祝福もあった。共同体としての7.5.3のお祝いだった。二人の3歳の女の子が両親とともにみなから祝福を受けた。昔は地域が共同体としてお祝いをいていたのだろう。3歳では覚えていないかもしれないが、両親には喜びとして残るのだろう。
今日のお説教はわかりにくかった福音だった。旅に出る主人が3人の僕に能力に応じて財産を預けた。一番多く預かったものは、それで商売をして同じ額を儲けた。もう一人も同じように預かったお金を使い同じ額だけ儲けた。一番少なく預かったものは、なくなってはと土に埋めてそのままにしておいた。ないもせずそのまま土に埋めたもの以外は褒められ褒美をもらった。なにもせずに土に埋めたものは追い出された。そんな福音だ。これはお金の話しだったが、心(気持ち)のことで考えてみよう、と神父さんは言われた。人から頂いた思いは、そのままにするのではなく、それを活かすことだと。
NPOを支援してくださるみなさんに冊子と一緒に送る短いメッセージを書いている。今日はそれがたいへんではなくみなさんに合ったように丁寧に書けた。ほかのこともそのように思えて、丁寧に丁寧に活かしていこう と思えた。無理をせずに。それができることがとても喜びに思えた。遠く感じていたものが近くに感じられた。生きているということは、それだけですばらしいと思った。
今日のお説教はわかりにくかった福音だった。旅に出る主人が3人の僕に能力に応じて財産を預けた。一番多く預かったものは、それで商売をして同じ額を儲けた。もう一人も同じように預かったお金を使い同じ額だけ儲けた。一番少なく預かったものは、なくなってはと土に埋めてそのままにしておいた。ないもせずそのまま土に埋めたもの以外は褒められ褒美をもらった。なにもせずに土に埋めたものは追い出された。そんな福音だ。これはお金の話しだったが、心(気持ち)のことで考えてみよう、と神父さんは言われた。人から頂いた思いは、そのままにするのではなく、それを活かすことだと。
NPOを支援してくださるみなさんに冊子と一緒に送る短いメッセージを書いている。今日はそれがたいへんではなくみなさんに合ったように丁寧に書けた。ほかのこともそのように思えて、丁寧に丁寧に活かしていこう と思えた。無理をせずに。それができることがとても喜びに思えた。遠く感じていたものが近くに感じられた。生きているということは、それだけですばらしいと思った。