秋の夜長の長電話が終わった。40年来の親友とだ。彼女とはよく長電話をした。昔はご主人が嫉妬したのもだ。今は、ご主人が出かけたときにそれ!と長電話になる。昔話の反省が多いが、気がついてよかったね、という感じだ。お互いに素直になれずに生きて、ずいぶん損をしたね と笑う。それに自分だけがつらいと思っていたね と。相手だってつらかったんだよ。
昨夜は、サッカーのブラジル戦を前半だけ見て、陽水と浩二のハーモニーを聞いた。30年ぶりというがいい味を出していた。ふくみのあるのびやかな二人の声に魅了された。こういう風に歌の上手い人は、今はいない気がする。時には泣ける歌が聞いたと思う。『泣きたい』のだろう。それはそう、素直になれなかった自分への涙のような気がする。ドラマでもそうだ。ドラマを見て涙を流したいことがある。「こうでなくてはならない」と自分を縛りつけていた。もっと素直に、心を開けていたら・・・。揺れる心だってあるのだから・・・。
「さびしいのはおまえだけじゃない」というドラマがあった。この題名をこの頃よく思い出す。私だけがさびしいのではないのではないか。私だけがうれしいのではないのではないか。同じように悩み、同じように喜び、同じように安心しているのではないか。それは言葉にはならなくても。そんな想像ができるようになった。想像が違っていてもいいと思う。少しだけ相手のことを想えるようになったのだから。
もっと素直に、もっと自由に・・・。今以上それ以上愛されるのに・・・。
昨夜は、サッカーのブラジル戦を前半だけ見て、陽水と浩二のハーモニーを聞いた。30年ぶりというがいい味を出していた。ふくみのあるのびやかな二人の声に魅了された。こういう風に歌の上手い人は、今はいない気がする。時には泣ける歌が聞いたと思う。『泣きたい』のだろう。それはそう、素直になれなかった自分への涙のような気がする。ドラマでもそうだ。ドラマを見て涙を流したいことがある。「こうでなくてはならない」と自分を縛りつけていた。もっと素直に、心を開けていたら・・・。揺れる心だってあるのだから・・・。
「さびしいのはおまえだけじゃない」というドラマがあった。この題名をこの頃よく思い出す。私だけがさびしいのではないのではないか。私だけがうれしいのではないのではないか。同じように悩み、同じように喜び、同じように安心しているのではないか。それは言葉にはならなくても。そんな想像ができるようになった。想像が違っていてもいいと思う。少しだけ相手のことを想えるようになったのだから。
もっと素直に、もっと自由に・・・。今以上それ以上愛されるのに・・・。