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たまには父のこと

2023-06-17 19:27:43 | 日記

朝から陽ざしがギラギラして、お昼近くには28度を超えていました。ベタベタとした湿気はありませんが、日焼け止めは役に立たない感じです。ああ、こんな日がまた来るのですね・・・。

明日は父の日です。母のことはぶろぐに書いても、父の思い出はあまり書きません。ある意味では、影の薄い人でした。言葉も少なく、声を荒立てることもありませんでした。母に言わせれば、覇気がないでした。父のアルバムを見ると、山男で仲間と楽しそうにキャンプをしている姿がたくさんありました。スキーの写真はありませんでしたが、家の物置にはスキーの板がたくさんありました。おそらく、兄弟が仲がよくて、よく山に出かけていたようです。

父は戦争が始まったころ肋膜を患って、軍隊から帰されたと言います。祖母が必死で看病したそうです。そして、終戦直前弟が軍隊で自死したということです。(これは私が50位で母から聞いたことです)そこから父の人生は違ってしまったようです。家業の紳士服仕立てを継ぐことになります。今なら一部上場の会社に勤めていたのに辞めて、仕方なく家業を継ぎ、母と結婚しました。母との結婚は仕方なくではなかったようです。20何回のお見合いの末で選んだのですから。

父は野外の運動だけでなく、西条八十氏に師事していて、大正ロマンの青年だったそうです。明治の文学は、原文で読んでいたとか。それとあとでわかったのはクラッシック音楽に精通していたことです。歌は音痴でしたが。笑。素敵な女性たちとも交流もあったのでは。そんなんものを全部捨てて家に入ったのですから、すべて諦念という感じでした。ただ静かになにもなければいいと仕事をしていた感じです。

ですから、私にも「それは無理だから・・・」という返事が多かったです。「そうか、一緒に頑張るか!」というような返事はありませんでした。母はもっとイライラしたようです。私の頼れる人が欲しい病はこの頃から始まったのだと思います。

それでも、母も言いましたが、大きな愛情を持った人ではないかと。頑固でワンマンな祖父、それに逆らえずにいる祖母、その一家が抱えていた叔父や叔母の問題。そんなことをもめごとなくこなしていけたのは、あの父の愛情ではないのかと思います。

時々、父が語ってくれたクラッシックの話を思い出します。団子っ鼻の父からは想像がつきにくかったです。そして、コーヒーが好きだった父。その姿にほんの少し大正ロマンの文学青年の影がありました。

 

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