はるか昔の教え子が(当時は11歳くらい、今は内緒)京都へ来るのでお会いしましょうと連絡がありました。いくらか涼しい比叡山にでもと思ったのですが、あまりにも能がないので、神護寺に行くことにしました。久しぶりの京都ですし、高山寺へはいつ行ったかしら?くらいになります。TVで秘仏「毘沙門天」などが150年ぶりに特別御開帳ということで、出かけました。
教え子のTちゃんは中学受験で中高一貫校へ、大学進学の頃相談を受けました。経済的にも恵まれ女の子一人なのでのびびのびと大学時代を過ごし、海外へも留学。それでも普通?女の子として上場会社へ就職しましたが、ある日転職したいという相談がありました。そのころから、なにか迷うときは私のもとに相談というよりは、思いを吐き出しにきました。
「先生、(まだそう呼ぶのですが)朝ドラを見ていますか?」という話から始まりました。朝ドラのストーリというよりは、彼女は夫婦別性や夫婦のかたちや性的マイノリティの話をしたかったようです。特に、「日本に戸籍があるのがいけない」と。本当に戸籍というものは面倒なもので、姓が変われば、銀行口座から様々な変更届が必要です。もちろん、彼女はその面倒さを言いたいのではないのですが。「二人の問題」がどこかで「家」と「家」の問題になる。「事実婚」がなぜ海外のようにこの国は認められないのか等々。
ここでそのお話をすると長くなりますが、最近、能登半島地震のボランティアで「防災士」の資格を取って現地へ行っているような彼女には、失いたくない自由があるのでしょうね。子どもを産むことへの抵抗もあるようです。結局、「子育ては女性が担うことがいまは多すぎる」と。
器もできていないところでいくらお金をばらまかれても、子供は産めないと思います。結婚、出産・・・。
「Tさんを良く理解してくれるようなレベルの人と巡り合いうときが来ると思うわ。それは先かもしれないけど、きっとくるわよ。狭い世界の男性でない人がね」それが私の答えでした。