今日も暑くなるという朝。スクールガードの時間にはなかなか子供たちが集まりません。一番のりの男の子が「大谷選手、50号ホームラン打ちました!」と走ってきました。「50:50」達成です。スクールガードのボスが少し遅れてきて「大谷選手!やったよ!」と。「もう、k君が知らせてくれました」「そうか、俺は感動してしばらく観ていたよ」と。そんな朝の始まりでした。大谷選手はなんという人物なのでしょう!!
80歳以上のサッカーマンと小学生の交流会の反響で、あちこちからメールが届きます。サッカーに関係ない人も「何事も継続なのね」などとコメントが届きます。最近、胃カメラと大腸カメラで検査した親友からも検査結果が出たと連絡がありました。大腸のポリープにがん細胞が見つかったそうです。幸い、表皮の部分なので大事には至らなかったそうです。「20年の何の健康診断もしていないんだから、身から出た錆よ」という煙草が止められない彼女でした。
この年になりますと自分の身に起こることは、自分の蒔いた種のせいだと思うのです。だから、自分で刈らなくてはいけないと。確かに相手の生きてきた道を思えば「そうね、そうかもね・・・」となるのですが、面と向かっては言えませんね。手を抜いたところは後でその穴埋めになります。私などは、まず貯金をせずに使ってしまったつけが今来ています。離婚もそうでしょうか・・・。ひとりのぼろ長屋の貧乏暮らしもいままでの生き様のつけのようです。かみさまはよく見ておられる。
今週の聖書に「この女は多くを愛したから、その多くの罪は許されていうのである」(=多くの罪が許されている(完了形)ので、多くを愛したのだ」でした。
貧しいけれども、しあわせに暮らせるのは、自分の蒔いた種であれば、と思うのです。