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重なる不幸が起きた時には?

2022-06-07 18:49:33 | 日記

クリーニングに出し忘れていた厚手の単のジャケットを着ないと寒い日でした。(出し忘れた自分を褒めます)晴れてはいますがどんよりとした空です。昨夜は日本代表のブラジル戦を観て疲れてしまいました。国立競技場ということもあり、海外でのブラジル戦を観るのとは違います。えっ!そんなんところからボールが出るの!さすがにやわらかい(身体のことではなく)チームです。

慣れてはいけないとみているウクライナの様子です。多くの死者が毎日出ています。それこそ東部の町は焦土と化しています。この国が平和が来るのはいつのことなのだろうか・・・。でも、この侵略で知らなかった軍事のことも目にすることができました。武器があり、情報戦があり、徴兵制度がある・・・。

ちょっと違う話題にいたしましょう。先日ブログに書きました「カシオペアの丘で」でメリーゴーランドに乗りに来た家族がありました。ご夫婦と女の子の家族です。メリーゴーランドに乗っている家族の写真を撮ってあげます。その何日か後の新聞記事でこの女の子が住んでいるマンションの屋上から男に突き落とされた記事がありました。しあわせそうな家族の写真が悲劇の写真になりました。さらに、男は奥さんの不倫の相手だったというのです。この夫の心の葛藤も物語に絡んでいました。幸せな家族のあらゆる隠れていたものが露呈されました。

がんで余命を宣告された俊も生きていく困難にぶつかります。それでも支える家族がいるのがいいのか?と問います。

生きていくことの困難は大なり小なり背負わないとなりません。特に「死」に向かい合うときは。二つの災難が重なったときに、信仰が必要になるということは先日書きましたが、生きることを放棄したいようなときに、必要のものはなになのでしょうか。


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