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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ラッキーガール

2014-04-09 15:45:40 | 日記
1か月以上前に鉄のドアに挟んだ傷が痛みます。爪も剥がれそうです。そんなことや悩むことが多い毎日でした。2,3日前教え子が本を貸してくれました。『ラッキーガール』でした。

なにかの宣伝で見ていたので、お付き合いで借りた感じでした。昨日、電車の中で読んでいて、ちょっと待って・・・。なんと淡々と生死にかかわる苦しいことが書かれていることか!本人もそうだけど、周囲の人たちはどれほど心を痛めただろう・・。私の手なんて動くし、癌でもないし、手を切り落とすこともないし、抗がん剤に苦しみ日々でもないし、毛もバサットなんて抜けなし・・。わずか10分ぐらいの間に私の心は揺れました。苦しみを味わった人への共感で、胸が苦しくなりました。「おい、なにを悩んでいるのだ、走れる2本の足があるではないか!」

ラッキーガール、それは私かもしれない。大きな決意を悲しみを通り抜けた人に贈りました。

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つながりの欠乏

2014-04-07 12:53:26 | 日記
もみじや桜の芽ぶきがきれいです。春の風に揺れながら1日、1日と緑が濃くなっていきます。誰でも、生まれた時は純粋無垢でした。成長の過程で、少しずつ自分を守る癖を付けといくということです。それが殻のようになってだんだん成長していくそうです。子どもの能力に、読書、会話、そして読み聞かせなどが影響を与えているということです。子どもの頃の読み聞かせは、スキンシップや会話にもつながりいいのでしょうね。昔は(昭和30、40年代くらいでしょうか)どの家庭にもおばあちゃんがいたりして子供たちの面倒をみていました。また、近所の子供たちの面倒も差別なく一緒に見ていました。どこのお宅へも自由に出入りできた気がします。ですから今でも近所の家の間取りを覚えています。そう、お年寄りのつながりも日常生活にいつもありましたね。ゴミやさんがくると主婦たちはでてきてしばし井戸会議。地域の行事も多く人が集まる機会も多かったですね。生活が便利になるのは当然のことかもしれないけど、そういう人のつながりを置き去りにしたつけは、いまになってさまざまなことででてきてるようです。この病は大変なことのように思います。あまりの時間の流れの速さに人は他の人のことまでかまっていられないのでしょう。若葉が元気にそして豊かに育ちますように。小さな思いを形にしていこうと思います。

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願わくは 桜のもとにて

2014-04-04 16:17:01 | 日記
さくらがはらはらと散っている。くるくると舞いながら。時を忘れて、飽くことなく眺めている。桜の並木に花びらが舞う。このまま天国に通じそうです。ずっと歩いて行ったら・・・・。

西行の歌が思い出されます。心も揺れています。

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プラトンの愛

2014-04-04 00:37:05 | 日記
桜の便りが各地から届きます。やはり、日本の美しさを感じますね。これから咲く八重桜もたのしみです。プラトンの愛、今日はそんな思いをお話しします。プラトニックラブというとなんとなくイメージが違うので「プラトンの愛」にしました。この話を聞いたのは、高校時代の倫理の時間でした。昔、男と女は一つであった。しかし、神は知恵や力を身につけてゆく人間を憂い、その身体を二つに裂いたそうです。そして、神の息でみなこの世に離れ離れに散らされた。子孫である男と女はそれぞれ昔一体だった相手を求めるのですが、その相互の求めが愛であり、この愛が人間本来の姿にに戻ろうとする衝動なのだそうです。私はこの話が好きです。その相手に巡り合えることはとても難しいような気がします。プラトニックラブを精神的な愛ということがありますが、愛を深く深く精神的に高めていくと、ある日その相手が一体だった相手に変わる(なる)ことがあるのではないと思うこともあります。それこそ神のなせる技のように、奇跡が起こるのでないかと思うのです。それは理屈ではない想念の世界なのでしょうね。ある意味では「思いこみ」なのでしょう。写真は東寺の不二桜です。愛の世界はこんな幻想的なものなのかもしれません。


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