gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

手紙

2016-10-20 18:17:29 | 日記
 10月の夏日。風邪はよくならず、心は萎えています。雨ならば寝てもいられるのに・・・。

大事なお手紙を書かなくてはなりません。本当に手紙を書かなくなりました。

 『手紙』で思い出すのは「死んでもあなたと暮らしていたいと・・・」由紀さおりの曲と陽水の「さびしさのつれづれに 手紙をしたためています あなたに・・」でしょうか。メールが増えたときでも、大事なことは手紙にしていた気がします。最近はそれすらもせずにいる気がします。字は下手になり、書けなくなり、言葉すら出なくなりました。文章もパソコンの画面でないと書けません。指が自動的にキーボードをたたいて文を作っていくようです。便箋や封筒を選び、一字一字、それこそ「したためる」ということをしなくなりました。

 別れの手紙はあっても、なにか別れのメールはぴんと来ません。愛を打ち明けるにも、メール??ですね。たとえ、何行でも、百年の恋も冷めるような字でも、やはりその方を感じることができる手紙は、心が伝わるのでしょうね。久しぶりにあいの手紙でも書いてみましょうか。だれに?

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京砂漠

2016-10-17 12:55:43 | 日記
 15日土曜日の夜から山形県最上町の町おこしのサッカー大会に出かけました。頂いた情報だけでは地理的な位置がわからず、どうしたもんじゃろな  でした、面倒見のよい方が時刻表やホテル情報まで下さり、山形新幹線の最終便で新庄まで向かいました。最終列車でもあり、降車客も少ない新庄の駅で不安を抱えてホテルへ向かいました。外に出ると一面の濃霧。ミステリアスな街に浮かぶホテルの看板にほっとしました。

 翌朝目覚めてカーテンを開けると地面は濡れていて、空は真っ暗。雨だ!TVの天気予報では晴れ?1時間もすると窓の外の景色が見えてきて、それが濃霧だったとわかりました。会場へ着くと、山の稜線はくっきり、秋晴れで空気が澄んでいます。いきいき輝く高齢者サッカー大会で、もとは最上町の文化的な事業から発したものでした。地元のお米でつくったごま塩のおにぎり、トン汁と温かいおもてなしでした。

 小国川で採れるあゆぐらいしか名物はないと 帰りの車の中でお聞きしましたが、人の心に安らぎを与えてくれる大自然は大きな宝物。ただ、グラウンドの周りを歩くだけで心が大きく広がりました。『生きてるっていいなぁ!』そう思える1日に感謝でした。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋深し

2016-10-15 07:56:25 | 日記
 秋の空は高くきれいです。面白いつぶやきがフェイスブックにありました。「なぜ、秋だけ深まるというのでしょうか?春、冬、夏・・・。」確かにそうですね。秋には深さがあるんだ なんて思いました。

 昨日は、心がざらざらする日でした。眼科の検診では視力は少しずつ回復し、経過は良好とのこと。それでも心底から喜べません。感情を逆なでするようなことが起こります。それはきっと自分の価値判断と違うことをする人がいるからだと思うのですが・・・。自分の物差しでばかり測ってはいけない と思いますが、心は「いや ちがう」と言っていました。

 人生は「許す」ことに始まり、「許す」ことで終わるのか と思うこのごろです。自分と価値観の違うものを受け入れ、時間をかけて心のざらざらとなくしていくことなのかと。山登りのようにひとつ受け入れると視界が開けます。別の価値観が見えてきます。若いときと違い、人生の山を半分以上登ってくると、そのようなことで「こころ」を穏やかでゆったりとしたものにしていくのかな とも思います。

 許しといつくしみ がキリスト教の『いつくしみの特別聖年』のテーマです。心が少し豊かになるといいのですが。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋愁

2016-10-13 06:47:29 | 日記
 急に気温が下がりだした。母の冬物の衣類を出しに実家に帰った。おしゃれだった母がとんでもない組み合わせの服を着ている。それでも髪が伸びたので切りたい という。まだおしゃれする気持ちは残っているらしい。

 週に4回は小規模多機能住宅で朝から夕食まで過ごしている。手先の器用さや字がうまいのでなにかとお役に立っているらしい。1日行くと疲れたといって戻ってくる。それでも「この年で役に立つのはうれしいね」と生きがいを感じているらしい。「らしい」は、本当に母にとって幸せなことは何なのか? と思うときだ。出かけない日は、気ままにベッドのなかでごろごろしてTVを見ているらしい。好きなときに起きて、好きなときに食べて寝る。それも長年、専業主婦で祖父母に仕えた母には幸せなのかもしれないとも思う。「認知症」の母の幸せは?記憶が5分もない彼女にとって、どんな環境が幸せなのだろうか?今の状態が一人暮らしの限界ではないのだろうか?

 帰りの電車は、妙に情緒が不安定になる。行き場のない感情があふれる。秋のせいだろうか。

 「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の  声きく時ぞ 秋は悲しき」 牡鹿が雌の鹿を思って鳴くらしい。秋は愁いがあふれてくる。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故人が残してくれたもの

2016-10-10 21:19:19 | 日記
 やっと晴れて、運動会ができたのではないでしょうか。最近は5月や6月に運動会をするところが増えています。天候のことや受験へのスケージュールのためとか。昔の運動会は朝は冷えていて昼からは暑いくらいになる。まだみかんが青くて珍しい時期だった記憶があります。

 今日は埼玉の深谷までシニアサッカーを取材に行きました。春は桜が満開でそれこそピンクのグラウンドでした。10月になると桜の葉が落ちて、花びらでなく毛虫が落ちてくる怖い日でした。この大会でも、先月末に亡くなられたNさんのお話に。本当に多くの人に愛された方でした。Nさんを取材した2年前の記事を追悼文として配信しました。思わぬ反響で、いままで疎遠だった二つのグループから礼状が届き、ほかにも文の載った冊子を送ってほしいなど 連絡がありました。口数の少ないNさんがそっと残してくれたもの・・・。私は当時気づかずにいました。今になって、それが思わぬうれしい知らせを運んでくれました。そのNさんのお人柄が残してくれたもの・・・。涙です。最後にお会いした大会のとき、わざわざご自分の勤めておられた会社の飴を持ってきてくださいました。あれは・・・・。

 いつもニコニコされていたNさんが私の心に深く深く残りました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする