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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 されどわれらが日々

2017-09-19 15:38:43 | 日記
 台風が去って暑い日が来て、今日は爽やかな天気になった。風が心地よい。先週の木曜日の夜からルーターが壊れてしまい、インターネットやメールが使えなくなった。金曜日からは中部地域へ取材、連絡のメールが通じないのは痛い。今日、回復した。いかにインターネットに頼って生活しているのかわかる。調べものができない。それでも昨日1日メールが使えないので平和な日を過ごせた。久しぶりにパソコンに向うと目が痛い。いよいよパソコンの環境も変えなくてはならない。扱うデータが(画像ファイル)が多いので、相手の方からの通信手段へのリクエストもに応じないとならない。スマホはいらないとも言えなくなり、ipadで手を打つことになりそうだ。

 メールを開くと、「老人の日に」というつぶやきが来ていた。柴田翔の「されどわれらが日々」について書かれていた。同級生に50年ぶりに会ったような気分だ。今の若い人たちには注釈(いや翻訳か)必要かもしれない。自分たちの力で政治が変えられると信じていた。社会主義、共産主義が本来の?意味を持っていた時代かもしれない。この50年の変化は何を残したのだろうか?格差か?既成のものを打ち壊していくエネルギーが「われら」にはあったような気がする。今は、変化するのは世界で「われ」でなく「われら」でもないようだ。この本はこの時代の「大いなる遺品」をと私は思う。

 私はよい妻にもならず、母にもならず、たんなる当時の反抗の出来損ないだが、最近は思う。だんだんやわらかくなって溶けるように消えたいと。今は、クッションのような人でありたい。抱こうが投げようが枕に使用がなんでもOK、ただあたたかさ(ぬくもり)を感じてもらえたら と。

 
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 そのむかし

2017-09-13 14:45:10 | 日記
 暑い日になった。湿度が低いので気持ちがいいが、どうも昼間は外出する気にはなれない。金曜日からシニアサッカーの取材に出なくてはならないが、台風が急カーブを切って本州を縦断する感じだ。来るなら早く来てくれればいいが、調度狙われたようになる。悩んでも仕方ないので完全防備になった。

 今朝、6年ぶりにデュランタの花が咲いた。ここに越してきてからそのままでブーゲンビリアと1つの植木鉢に同居していた。どうもブーゲンビリアが生命力があったのか、デュランタは咲かなかった。まだ花は少ないが楚々と咲いている。涼しそうでいい。

 時間がかかるが再現されるイメージがある。もう30年以上も前のことかもしれない。当時流行の女性誌に出ていた記事を覚えている。何の特集かもわからないが、シルバーグレイでショートカットの女性が白いパンツをはいて海を見ていた。そして、彼女が部屋のソファーでゆったりと編み物をしている写真もあった。当時だから、大きなステレオがあった気もする。年をとったときには、彼女のようでありたい と思った。涼しいときに買い求めた毛糸でクーラーを入れながら編み物をしている。だいぶ家具のレベルは違うが、なんとなくそのとき憧れたイメージだった。彼女が立っていた海辺?はどこだったのだろうか?一人じゃなかったなぁ。私もがんばるか??

 などと寝言を言いながら編み目を間違えないように印をつけている。まだ編むことは出来るけれど、編み目は年をとってきている。

 

 
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おも~い蒲団

2017-09-11 21:38:50 | 日記
 気温が28度を超えると暑さが堪える。一度、涼しくなったせいか蒸し暑さに身体がだるい。1日、なにをやったのかとこの時間になるとがっかりする。1日働くと翌日はぼーっとしている。そろそろ衣服の入れ替えもと思うと暑くなる。去年は何を着ていたのだろうかと思う。洋服は買っていない気がする。ものは欲しがらなくなった。

 TVドラマで「毛布のような女性」がいい という話があった。つまり、重たい掛け布団のような人でなく、身体に邪魔にならない毛布のような人ということらしい。そばにいても邪魔にならない人ということだ。そういう人と一緒になりたい ということだった。なにかわが身の反省を含めてその表現がわかるような気がする。

 若いころならその多すぎるエネルギーに困りもし悩みもたのだろうが、年をとるということは恐ろしいことで、開き直り始める。相手の問題にするのだ。毛布だろうが、重い布団だろうが平気でグーグー眠れるような男性がいいのよと。ガラス細工のような男性は私には無理なのだ と思う。無頓着なくらいがいい。そういう人を義理の母は「酸いも甘いもわきまえた人」といった。改めて義理の母の言葉がわかった気がする。

 

 
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 幕を引く

2017-09-10 23:00:22 | 日記
 風が爽やかな日。秋の花が出回り始めた。秋の色だ。高橋一生が出なくなった「おんな城主 直虎」を見ても・・・と思いながら、アイロンかけが手持ち無沙汰のなのでTVをつけていた。「城主を降りる」話だ

 人生には幕を下ろすときがある。仕事もそうだが、今問題の運転免許、趣味の世界もそうだ。免許は80歳ぐらいが限度なのだろうか。サッカーをしているシニアたちも足としての車は放せない。それだけでなく、都会を離れれば買い物には車が必要だ。免許返上はそう簡単にはできない。結局、自宅の近くの買い物用に残しておくようだ。サッカーもそうらしい。思うように蹴れない、走れないとなると引退を考える。でも、なかなか長年やってきたことはやめられない。病気や怪我以外は悩みながら続けている。仕事は定年があるので迷う余地がないのだろう。それでも、退職後のアルバイト程度の仕事を完全に辞めるには時間がかかる。男性が社会との関わりを切ることは難しい。あとはのんびりするのだ、と言って逆に忙しくなった人もいる。自分で幕を引くと頑強に決めないと男の幕引きはなかなか難しいようだ。

 主婦の幕引きはないのだろうか。これも難しい。幸い、私は仕事はさっと辞めた。もうOKとはんこを押して終わりにした。「ごくろうさま、もういいですよ」とOKしてもらった。でも、今日の直虎のようにプロポーズは来なかったなぁ。寝ぼけてはいけない。そんな話は30年くらい前までだ。だから今日は、一人さびしくこつこつと針仕事をしている。

 
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 百合とコーヒーの香り

2017-09-09 22:58:30 | 日記
 今日は洗濯日和という。それと洗濯、特に大きなものを洗う。そして、しばらく出さないでいた掛け布団や毛布をお日様に当てた。一段落すると、センターテーブルが届いた。ちょっとご自身で組み立てていただきます と言われたが、うそだ!平らな板しか届かないから全部ボルトで締めなくてはならない。すぐお茶でも飲めると思ったのが大違い。さらに天板の色が明る過ぎる。今日は大仕事だと思った。

 独りになってから少しずつ揃えていった家具。身の丈にあったものを選んできた。こだわりは背の低い家具。狭い部屋が広く感じられる。やっと、自分の身の回りのことに気を使えるようになった。ソファーなど洗濯物と洋服の置き場で、座るなどという機能はなかった。別にゆっくり座る必要も無かった。ゆっくり座ってTVを見る、本を読む、手芸をするなんていう時間はなかった。考えてみると、なんとさびしい生活だったことか。

 つぼみで買ってきた百合が全部咲いた。透かしの百合がきれいだ。やれやれとコーヒーを入れた。秋の模様のコーヒーカップにした。ソファーに座ると、なんとも妙な香りがしてくる。甘い百合の香りとコーヒーの香りだ。不思議な空間ができた。なんとなく今日は中島みゆきが聞けそうだ。ずいぶん聞いていない。なにかつらくていけなかった。つらいことはいっぱいあった気がする。でも、今、こうして身の丈ほどの幸せを感じることができることは神に感謝だ。そして、巡り会った人たちに感謝だ。「ありがとう」と涙がこぼれた。

 

 
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