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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 いのちある限り

2017-11-12 21:07:27 | 日記
 今日はミサにも行けず(行かず)、予定していた障がい者のスポーツフォーラムにも行けなかった。イライラしながら冊子の編集をしていた。編集がいやなのではないが、だれも何も必要とは感じていないものを作っているような気がする。あってもなくてもいいものを作ることに疲れたのだろう。サッカーに理屈などいらないと。だれもどうでもいいことなのだと。
 出来上がって原稿の確認をお願いした。この人の想いを書けたのだろうか。夢を語ってくれた人の心を伝えることができたのだろうか。私はその想いを引き継いでいかなくてはならない気がした。大丈夫ですよと。
 人生にはそんなことがある。たとえば、無念にも病に倒れた人の思いを受け継ぐことだ。「どうか、・・・・・」という。それを遺志というのだろうか。青すぎる空の下、その地を案内をしながら語ってくれた夢を私は受け止められたのだろうか。
 今日は心が重い。命あるものの定めというのか・・・。ふと美しい紅葉を思い出した。あれはかの人への想いなのだろう。
 
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さみしいのはおまえだけじゃない

2017-11-11 23:30:58 | 日記
 秋の夜長の長電話が終わった。40年来の親友とだ。彼女とはよく長電話をした。昔はご主人が嫉妬したのもだ。今は、ご主人が出かけたときにそれ!と長電話になる。昔話の反省が多いが、気がついてよかったね、という感じだ。お互いに素直になれずに生きて、ずいぶん損をしたね と笑う。それに自分だけがつらいと思っていたね と。相手だってつらかったんだよ。

 昨夜は、サッカーのブラジル戦を前半だけ見て、陽水と浩二のハーモニーを聞いた。30年ぶりというがいい味を出していた。ふくみのあるのびやかな二人の声に魅了された。こういう風に歌の上手い人は、今はいない気がする。時には泣ける歌が聞いたと思う。『泣きたい』のだろう。それはそう、素直になれなかった自分への涙のような気がする。ドラマでもそうだ。ドラマを見て涙を流したいことがある。「こうでなくてはならない」と自分を縛りつけていた。もっと素直に、心を開けていたら・・・。揺れる心だってあるのだから・・・。

 「さびしいのはおまえだけじゃない」というドラマがあった。この題名をこの頃よく思い出す。私だけがさびしいのではないのではないか。私だけがうれしいのではないのではないか。同じように悩み、同じように喜び、同じように安心しているのではないか。それは言葉にはならなくても。そんな想像ができるようになった。想像が違っていてもいいと思う。少しだけ相手のことを想えるようになったのだから。

 もっと素直に、もっと自由に・・・。今以上それ以上愛されるのに・・・。

 
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人生いろいろ

2017-11-10 19:37:49 | 日記
 久しぶりにスーパーへ買い物に。冷蔵庫が空に等しくなった。家にいる日が少なかったので買い物を控えていた。今日は籠いっぱいに買い物ができた。トン汁と久しぶりにエビチリソースを作った。手を抜かず名人が作るエビチリやらを作ってみた。家を空けて、この家がどんな存在かわかったような気がした。しっかり守っていきたいと思った。

 朝からTVでは恐ろしい殺人事件のニュースが続く。殺されたのは若い女性がほとんどだ。昔ならこんなことはなかっただろう。高校時代のことだった。クラスは50名で女子は15名。親友と二人が村八分になった。誰も口をきいてくれない。そんことが3週間くらい続いたとき、二人は死のうと思った。もちろん、親や担任に高校を替わりたいということは相談したが、だれも本気に取り合ってはくれなかった。二人は死ぬ前にそれぞれいつも相談相手になってくれる人に会った。SNSではなくて良かった。私は『お兄ちゃん』と呼んでいた先輩に会った。ただ、そばで話を聞いていてくれた。それだけで気持ちは落ち着いた。親友も同じだった。今思えば、若いときにはよくある話しだったのだろう。

 『死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ バラもコスモスたちも 枯れておしまいと 髪を短くしたり 強く小指をかんだり 自分だけせめて泣いてすごしたわ ・・・』島倉千代子さんが歌った『人生いろいろ』の歌詞の一部だ。カラオケで歌おうかななんて思っている。若いときはエネルギーもある。一歩間違えば死を選んだかもしれない。恐いことだと思う。

 エビチリはおいしかった。「まちこちゃん、さすが!」と自画自賛。今の幸せを噛み締めた。ありがとう。

 
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 紅の空

2017-11-09 21:47:42 | 日記
 風は少し冷たかったが、青空がきれいだった。やっと家の中のことができた。なんとなく落ち着く。熊本で撮った写真を整理してみた。荷物が多いので望遠レンズだけをつけていったので、被写体からかなり距離をとらないと撮影できなかった。建物などは上手く撮れていない。天草の写真が意外に少ない。

 撮らなかった写真がある。天草から熊本にバスで戻るときの夕焼けだ。熊本で見る空は広かった。空が視界全部に見えるのは心が広がる。こんなところで育ちたかったなぁ と思った。その大きな空が紅色に燃えいた。バスの運転手さんもこんな夕焼けは珍しい といっていた。オレンジというよりは濃いピンク色だった。有明海の夕焼けは美しい と聞いてはいたがこんなに美しいとは!だから写真は撮らず心に(眼に)焼きつけた。

 有明海へ魚釣りに出かけたり、阿蘇の山を歩いたりしてこんなに自然豊かな環境で子育てをできたらどんなにいいだろうな と感じた。育った環境がいかに自分の人生に影響を与えていたかをこの年になったわかった。都会とはいえ木の多い環境で育った私には、木のない風景はさびしくていけない。坂道もそうだ。

 そうだ、熊本で市電に乗った。うれしかった。子供のころ、都電で5円か10円で銀座まで行くことができた。高校も都電で通った。懐かしい音が聞こえた。私の心は貪欲にさまざまなことを吸収した。そして、熊本をたくさん吸い込んで帰路についた。

 

 
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 家

2017-11-08 21:04:45 | 日記
 イチョウの街路樹もだいぶ黄葉し始めた。立冬を過ぎたわりにはあたたかい。11月も10日になろうとしているのに、あと少しで今年も終わるというその実感がない。

 なんとか今年中の取材予定をこなした。まだこまかい用事はどんどん出てくるが、とりあえず一息。ハードなスケジュールを終えて家に戻った。まず、お茶が飲みたいと思う。そんな贅沢なお茶ではないが、家のお茶はおいしい。同級生が言っていた。外でどんな食事をして帰っても、家に戻ると1杯のお茶でも飲みたいと思う と。家とはそんなところだと。ネクタイを緩めて、背広を脱いで、ほっとするのだろう。家のことで不機嫌なわけではないが、口をきくのも億劫で「寝るわ」とぶすっと言ってしまう。男の疲れたときとはそんなものだと思っていた。でも、家は家。それが出来るのが家なのだろう。働く女性が増えても、男のもつこの感覚はもてない気がする。男にとっての家と女にとっての家は違うもののように思う。男にとって家とは戻りつく大事なところなのだろう。帰巣本能というのか。

 私にとって家は・・・?自分の茶碗があるところだろうか。あまりにも疲れて口がきけなくても、ひとりお湯を飲む静かな場所なのだろう。

 
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