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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 賛美歌を聞きながら

2017-11-18 21:37:42 | 日記
 昨日、宮城松島の牡蠣が届いた。生で食べらそうな新鮮なふっくらした牡蠣だった。出かけて忙しかったので、お鍋にしてしまった。絶品のレシピが付いていたので、今日はそれに従ってバルサミコ酢を使ったソテーにしてみた。絶品だ!とまた自画自賛。午前中にマッサージに行ってきたので身体のコンディションもいい。見るTVもないので、賛美歌を聞いている。また、この季節がきてしまった。

 天草の隠れキリスタンの資料を見てから、私は踏み絵を踏むだろうか?キリスト像やマリア像を差し出すだろうか?と考えてみた。きっと踏み絵も踏むだろうし、キリスト像もマリア像も差し出すだろう。それでも神は許してくれるだろう という安易な考えかもしれない。おそらく、キリスト教がどのような教えかがわからないので、踏み絵や異物を差し出させたのでないか と思った。神は私の心にともにおられる というのがキリスト教的な考えだと思う。祈ることが出来るのだ。人はずる賢い。だから、許される理由を考える。これなら神さまも許してくださるだろう と。そのずるささえも許してくださるような気がする。愛とは踏み絵を踏もうがキリスト像を捨てようが、それとは別のところの生き続けるもののような気がする。

 うつくしいオルゴールのクリスマスソングが流れている。かすかにストックの香りが漂ってくる。ストックの花を抱えて急いで家に帰ったときの幸せの香りだ。土曜日の静かな夜。このときの豊かさに感謝。

 
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三年の年月

2017-11-17 21:43:49 | 日記
 毎日、今年一番の冷え込みとか天気予報でいっている。湘南平塚は暖かい。東京へ出て行くと寒い。体調もいいのか、あまり寒さを感じない。それとも年のせいで寒さに鈍くなったのか。

 3年前の今日、私は交通事故に遭った。家庭教師先に行く途中の横断歩道で軽自動車にはねられた。その記憶は無い。気がついたときは、救急隊の人と加害者の女性に道路で寝かされて抱えられていた。女性は、気が狂ったように「大丈夫ですか!」と叫んでいた。どんな事故だったかはわからないが、後で警察の事情聴取で見た車の写真のフロントガラスのひびが事故を物語っていた。そのままぶつかって道路に落ちたらしい。落ちたときに腰椎が圧迫骨折だった。あとは頭が少し切れていた。病院も警察も怪我が軽いのに驚いていた。だから、何度も血液検査をされた。5日間は地獄だったが、回復は早く車椅子も2日間しか乗らなかった。

 広い病室でのんびりと過ごした。その部屋で私は飾ったあった絵の中に神を見た。それは誰にも話さなかったが、神父様やシスター、お友達もこの部屋は清められたような部屋だと言った。そして、もうひとつ、事故のとき着ていた洋服の処分だ。一部には血がついていたし、気持ちが悪いので捨てたかった。神父様に聞いてみたら、それはあなたを守ってくれたものだから捨てる必要はないですよ、だった。そのなかのセーターは大事なものだった。以前に大事な人と会う日にとわざわざ買ったものだった。そうか、捨てなくていいのだ とうれしくもあった。

 3年が経って、私はのんびり暮らすことができるようになった。神のなせる業なのか。私は交通事故で望んでいたような暮らしを手に入れることが出来た。この暮らしを大事にしようと思う。

 
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家庭の匂い

2017-11-16 20:00:49 | 日記
 夕方、郵便を出して部屋に戻ると、シチューの野菜を煮た甘い匂いがした。あたたかい家庭の匂いだ。こういうのが家庭の匂いなのだなぁ としみじみ思った。

 夕方、寒くならないうちに買い物も済ませることが出来る。家庭教師のときは出かける時間だった。夕暮れに出かけて、よくさびしくなくやっていたと思う。夜、部屋にいるのがいやだったのかもしれないが。夫は、こんな匂いのする部屋に帰って来たかったのだろうな と感じた。塾を締めてから、一緒に帰ることが多かったから、こんな匂いはかげないことが多かった と思う。 

 別れてから夫は学習塾をロボットや科学を扱う塾にしていった。子供たちにはすばらしい環境だと思う。成功しているから、あたたかい匂いのする家庭に帰っているといいなぁ と思う。きっとそうなっているだろう。男はさびしがりやだから。

 今日はささやかな夢を買いにいった。かなえられれば幸せだ と思う。そして、仕事の鬼になって印刷物を閉じて郵送した。そんな日のあたたかい夕食はなによりうれしい。

 
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 I love you

2017-11-15 22:28:17 | 日記
 疲れて平塚駅に降りると、若者が尾崎豊の「I love you」をうたっていた。ギターの弾き語りだ。高音がきれいだった。いつきいてもこの歌はいい。

 母の物忘れ外来の通院の日だった。どうしても2時間は電車に乗る。早く帰りたい!と思ってもじっと2時間を耐えなくては帰れない。当たり前のことだが、意外につらいものだ。草の根サッカーの冊子が出来上がり、印刷して、紙を折り、中綴じのホチキスを止めなくてはならない。一人の作業はつらい。あと30部、あと10部・・といたい腕をかばいながら耐える。一人でする仕事は自分がやり通す以外に方法は無い。そんなことを体験している人は多いだろう。当たり前だが、一人耐える以外には無いのだ。人生はそんなことの連続のような気がする。

 贅沢とは思いながら、母のところへ行くときはグリー車に乗る。身体が楽なようにしている。帰りの席で、隣のおじさまが書類を手で破きだした。厚いいい紙なのでかなりうるさい。A4サイズを細かく細かくしている。東京からすでに40分。満席で動くどころではない。やっと終わって「うるさくて、申し訳ありませんでした」と声を掛けてきた。「ええ、まぁ、・・・お疲れさまでした。」と返事をした。「やさしい方ですね・・・」と言われた。なにかそう言ってしまった。誰かに「おつかれさま」と言ってもらえる人はいいと思うからかな。

 『この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい』そんな歌詞だったなぁ。I love you は。

  
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150人という数字

2017-11-13 21:13:12 | 日記
 夜になって雨になった。雨音にが大きいので窓を開けると冷気が入ってきた。外は寒そうだった。1日中、追われるように雑務をしていた。あと2日間は続きそうだ。

 11月11日の朝日新聞の科学季評に京大総長で霊長学者の山極寿一さんが「AIによる情報通信革命 安心な人の輪 広がるか」 を書かれていた。山極ファンの私は興味深く読んだ。その中で、脳の大きくなった理由に、集団の規模が拡大したためだという『社会脳仮説』を書いていた。日常的に付き合う仲間の数が増えると、脳は大きくなる必要があったという。現代人の脳容量は1500ccで、これは150人程度の集団で暮らすのに適合するという。おもしろいことに、現代に暮らす狩猟採集民の平均的な村の規模は150名という。  私が150名という数字を聞いたのは、高校時代で、ギリシャの直接民主主義が行われたポリスが150名くらいだったということだった。つまり、民意が反映するのは150名くらいがいいということだ。会社も150名くらいが一番まとまりがあり効率がいいということだった。まさか、脳の話と関連があるとは知らなかった。

 思えば、塾を経営していたときは、130名くらいがマックスだったし、その後に作ったサロン?も130名くらい、今のNPO法人も直接関わりがある人は150名くらいだ。山極さんは、100万を超える都市で暮らしながら、信頼できる仲間は150名を大きく上回ることはない という。さらに、現代の安全イコール安心ではないと。つまり、安心は信頼できる人の輪がもたらすものだからだと。

 信頼とは身体に根ざしたものだからだと言う。非常に興味深い150名という数字だった。人は五感を使うことで他者とつながりあう というが、それに人は六感的な(霊感というのか)ものですらつながれるような気がする。

 
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