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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

受け止めて、歩いていこうか

2020-05-20 20:29:35 | 日記

さわやかな日になった。じっと手を見るではないが、手を見るとかなり日に焼けている。紫外線が強いのだろう。そういえば、おでこも日に焼けている。マスク美人はいいが、おかしな跡が付きそうだ。元気に日焼けした球児たちには残酷な全国高校野球大会が中止と決まった。春の大会も中止、地方予選もできずに終わるとは・・・。教え子のお兄さんが県で3位くらいには入れる高校の野球部にいた。朝練があり、お弁当は3つ持っていく。そして、帰宅は8時半過ぎ。テスト1週間前になると部活が休みになり、テスト勉強になる。そんな3年間でも甲子園には行けなかった。誰が悪いわけではなく、ただ時が悪かったとしか言えない。そういうことは、東大入試の中止も就職難のオイルショックもリーマンショックもあった。なぜ俺たちが(私たちが)と、1年違いで進路が大きく違うこともあった。

でも、ある年齢になると、それが人生でそんなに大きな障害でない人も多かった。自分の力ではどうすることもできない運命のめぐりあわせはあるように思う。このコロナウイルス感染もまさか!と思うような事態に巻き込まれた人も多い。かける言葉が見つからないことが多い。

私はキリスト者なので、神がお与えになったことと受け止めていくようになれたが、行き場のない気持ちでおられる方が多いのだろう。右に行くにも左に行くにも、「受け止めるしかない」ことがある。その牌は自分でしか振れないから。ただ一つ私がこの頃思うことは、自分がどうしたいか、それを強く思うことで自然にその方向へ歩いて行ける ということだ。発する言葉も行いもその思いに左右される気がする。

 

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あなたに寄り添えたら

2020-05-19 20:07:54 | 日記

夕方、激しい風雨だった。1時間もたたないうちに、嘘のように晴れた。今日は昼間も雨にうたれた。大気が不安定なのと湿度が高いせいで神経系の痛みが出るようだ。どこか悪いのかと少し心配になる。年のせいだろうか、TVを見ていてわけのわからない涙が出るときがある。特につらいことがあるわけではないが、センシティブになってるのだろうか。

かれこれ20年くらい前のことだろうか。佐藤初女さんが、岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を作られているのを知ったのは。そんな場を作りたいと思った。残念ながら、自分が食べるための仕事が忙しく、「庵」を維持することはできなかった。そのころに心理学やカウンセリングを学んだ。洗礼を受けてからも、別の形でカウンセリングを学んだ。ただ、自分がそれに(人の悩みに寄り添う)耐えられないような気がして、遠ざかってはいた。

お茶を習いだして、この空間で人を癒せたらと思った。何も考えずに、ただお茶を飲むことにだけ心を傾けられればと。この地でそんな場所を作れればと思っていたが・・・。

いま、黄金色に輝く麦畑を見て、田植えがすんだ田んぼでカエルのなく声を聞いて、私は力を取り戻したようだ。写仏で阿修羅を写しながら、その苦し気でそれでいて力のある目を見て、それが希望であることを見つけた。私にできる最後のしごとかもしれない。それが「希望の鐘」という仕事だ。ただ、その人に寄り添うというだけのことだが、阿修羅の見え「希望」が見えるように寄り添えればと思う。

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志は? 雪のようにうつくしく

2020-05-18 18:16:10 | 日記

気が付くと5月もそろそろ3分の2が過ぎようとしている。時間の経過がよくわからなくなっている。今日は散りゆくなんじゃもんじゃの花を見たくて、早めに安土に出かけた。「雪の花」とも言われているので、散るさまは、きれいだろう。この前はお友達の車で行ったので、駅からの道がわからない。昨夜の大河ドラマの影響もあってか安土城跡へも行ってみたいが、方向が逆で無理だろうし、城址へ登る100段はあるという階段は登れそうなない。

安土の駅は地味な駅だ。というか町自体が田畑も多く、静かで落ち着いた町だ。駅前に織田信長の銅像がある。お顔はよく見えないが、面長でもない。どうも教科書に出てくる信長が面長なのでそのイメージが強い。この頃、ドラマを見ていて思うのが、武士の「志」というのか、政治を行うものの「志」は何だったのかだ。それは松下村塾を作った松陰が入塾を希望する者に「君の志は何ですか?」と聞くシーンを思い出すからだ。

医師を志す人は、自分自身や家族が病気になったので、自分も医師として役に立ちたいという人が多い。友人の看護師さんが嘆いていたが、昔は患者さんの支えになりたいとかで看護師さんを希望する人が多かったが、最近は「手に職で仕事に困らないため」という人が多いという。それで「志」を持って仕事に就く人も少ないのかもしれない。世の中が複雑になると(変化が速くなると)「志」など飛んでしまうかもしれない。

この年になって振り返ってみると、ダメなりにも貫いてきたことはあるように思う。誰かの支えになりたいと 生きてきた。雪の花は、風もなく少し時期が早いのか散ってこなかった。人生のはかなさを感じないだけよかったのか・・・。きよらかな雪の花に、もう少し人のために働いてみようかと 思った。「希望の鐘」というテーマで、支えていけたらと思った。

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優しい想像力 90歳の夫の後悔

2020-05-17 18:27:24 | 日記

夫婦と言うものは、おかしなものだと思う。独り者からみると、やはり同じ穴のムジナなのだろう。でなくては一緒に何十年もいられるわけがない。

寒いかと思い、やや厚着で散歩に出かけた。今日も琵琶湖でランチにした。段々晴れてきてきた。若葉も色濃くなり、黄緑色の新鮮さは少し薄れてきた。そんな時に携帯が鳴った。サッカー仲間の90歳のおじいちゃんからだ。脳梗塞で入院中の奥さまが施設に入るようなことは、仲間から連絡が入っていた。20日に病院から細かい説明を受けるという。新しい施設に入る前に、家に3日くらい置いてあげたいという。奥さまは言葉が不自由になり話せないと。それが不憫だと、話しながら涙が出たと言われた。男同士の会話ではそこまでは言えないのだろう。

おじいちゃんは養子さんになった という。奥さまは、国立大学の看護科の1期生だという。だから、おじいちゃんはいろいろ頑張ってきたのだろう。どうしてもいさかいが絶えなかった という。最近までもそんな発言があった。でも、奥さまが、言葉を失い、自分で字が書けなくなると、後悔ばかりが出てくるという。そして、奥さまがもう家に戻れないと(自分は看たくても看れない)思うと、涙が出るという。

夫婦とはそんなものだ。特に男性は、やさしいから。それゆえの夫婦なのだ。こんな時期は特に夫婦で助けながらが必要になる。それが「優しい想像力」なのだろう。奥さまもきっと同じ思いで、おじいちゃんに謝っているのかもしれない。コロナの時世は、「やさしさ」回復のときかもしれない。

 

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優しい想像力

2020-05-16 18:00:47 | 日記

1日雨に閉じ込められる。そして、肌寒い。郵便局へ出かけた以外はどこにも出かけていない。やらなくてはと思っていたパソコンの昨年の写真の整理をしだした。今年のコロナウイルス禍が嘘のような写真ばかりだ。でも、こんな雨の日、家に閉じ込められるのも悪くはない。

昨夜のNHKニュースウオッチ9でこのコロナウイルス感染の間にSNSに多く挙げられた言葉を特集していた。この3か月くらいで私たちの暮らしは大きく変わった。外出の自粛で、家で過ごす時間が増えた人が多い。旅行も外食も減っただろうし、GKの里帰りなどもないようだ。結婚式も延期、亡くなられた方の葬儀は家族葬だったようだ。テレワークも大きな企業ではかなり実施されたようだ。困惑の中でもそれに順応し、そしてこれからも継続していくだろう。

私自身の生活はあまり変わらない。もちろん、取材の出張はなかったが。その分、メールによる情報発信は増えたが、不思議なことにこのほうが伝わることが多かった。お友達関係も連絡したくなる人は、かつてよく深いところまで話し合った人だ。それは二人の間で築いた共通の価値観があるからかもしれない。きちんと二人で向かい合ったというのか。だから、今、彼女(彼が)どんな状況なのか想像がつきやすい。

また、家族が一緒にいる時間が増えて、話をする時間も増えただろう。とてもいいことだと思う。本来家族とはそういうもののだろうから。一緒にいて毎日喧嘩してもいいではないか。そこから生まれるものがたくさんある。そうすれば、「優しい想像力」もできてくる。

仮に私がコロナウイルスで隔離されても、「優しい想像力」があれば怖くない気もする。あえて言えば、その想像力はそう簡単にはできないだろう ということだ。こんな時こそ、そんな力を高められればと思う。

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