のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

こんなにおっきくなりました。

2008年05月04日 08時46分22秒 | 日常生活
ゴールデンウィーク初日。
祖父と伯母が野球観戦に福岡を訪れたため、お供してきました。

到着した祖父がワタクシを見て、目を丸くして驚きました。

「大きくなったのう。」

・・・・この年になって、
大きくなった、なんて驚かれるとは思いもしませんでした。
そりゃ、おっきくもなってるよ!
というか、もう10年ぐらいおっきくなったままだよ!

「のりぞうもすっかりオトナやのう。」

・・・・だからじいちゃん。
ワタクシ、もう30なんだってば。
10年前からオトナなんだってば。

どうやら、おじいちゃんの中では
「結婚していない孫」=「子ども」という公式が根付いている模様。
おじいちゃんの前では、ワタクシ、今しばらく
「子ども」時代を満喫できそうです。

神の子どもたちはみな踊る/村上春樹

2008年05月04日 08時37分56秒 | 読書歴
34.神の子どもたちはみな踊る/村上春樹
■ストーリ
 1995年1月、地震はすべてを一瞬のうちに壊滅させた。
 2月、流木が燃える冬の海岸で、あるいは、小箱を携えた男が
 向かった釧路で、かえるくんが地底でみみずくんと闘う東京で、
 世界は静かに共振を始める。
 大地は裂けた。神は、いないのかもしれない。
 でも、おそらく、あの震災のずっと前から、ぼくたちは内なる
 廃墟を抱えていた。深い闇の中に光を放つ6つの黙示録。

■感想 ☆☆☆☆
 私の読書暦は絵本→童話→児童小説→推理小説だったため
 長い間、起承転結がない小説(純文学的なもの?)が苦手だった。
 小さい頃から本が好きな子として見られていたけれど、
 実は学生時代まではそうではなかったのだと思う。
 本が好き、というよりも推理小説が好きだった。
 私がジャンルにこだわらずに本を読み始めたのは社会人以降で
 当初は、やはり起承転結のない話は苦手だった。
 同様に村上春樹さんも苦手だった。文章は読みやすいのに
 内容が頭に入ってこず、同じページを何度も繰り返し読んだ覚えがある。

 しかし、昨年、村上ファンの友人が彼の作品を大量に
 貸してくれたたため、しばらく村上春樹漬けの日々を送ることになり
 いつしか村上春樹さんの作品に対する苦手意識が薄れてしまった。
 それどころか、いまや村上さんの作品は「好き」の分類に
 入るようになっている。苦手なものを「好き」に変えてくれた
 友人には、本当に感謝。この本もその友人が
 「村上さんの本、まだあるんやけど。」と貸してくれたものだ。
 本当にいつもいつもありがとう。

 震災後の人々をテーマに綴られた連作小説。それぞれの作品は
 特に関連がないため、短編小説集と呼ぶべきかもしれないが
 作品の流れ自体がひとつの作品だと思った。前半の作品群で
 前面に押し出されている地震(や世の中の理不尽なこと、人間には
 どうしようもできないこと)に対する不安に対して、
 後半の作品群の中で希望(人間にできる行動)が指し示されている。
 特に最後の2作品「カエルくん、地球を救う」と「蜂蜜パイ」は
 結末にかなりはっきりと明るい光が差し込んでいる作品に
 なっている。平凡な人たちが絶望や不安を乗り越えるために
 できることとは?という問いに対する村上さんなりの回答なのだと
 思う。

 しかし、不安や絶望は世の中からなくならない。
 「カエルくん、地球を救う」の中で、カエルくんは言う。
 「ある意味では、世界にとって、あってもかまわないものだろうと
  考えています。」と。ただ、必要以上に大きくなってしまったときは
 それに対峙する必要がある。そのときに必要なのは、世の中の大半を
 占めているに違いない、ごく平凡でなんの特徴もない、けれど日々を
 真摯に懸命に生きている人の力なのだという。
 カエルくんは主人公に訴えかける。
 「あなたのような人にしか東京は救えないのです。
  そして、あなたのような人のためにぼくは東京を救おうと
  しているのです。」

 蜂蜜パイのラストで示される暖かいぬくもりにあふれた主人公の
 決意は、シンプルだからこそ胸をうつ。不安があふれているこの時代
 結局のところ、人間にできることは、傍にいる愛する人を大切に
 することなのだと思う。