のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

ギフト

2009年02月11日 11時22分44秒 | 日常生活
昨日は、今期最初で最後の研修でした。
なにせ経営厳しき折、ですから。

開催までに色々色々色々色々あって、
胃がきりきり痛む思いをたくさんした今回の研修。
ワタクシとブチョーのものぐさコンビゆえに
対応が後手後手になってしまい、
社長からもたくさんお叱りの言葉をいただきました。
そんな状況にもかかわらず、
とことん前向きでポジティブなブチョーの言動に
研修開始まで「きー!!」と血圧をあげたり、
ぐだぐだと悩んだり、論戦を交わしたりもしました。

が。
ブチョーがそばにいてくれたからこそ
ワタクシのものぐさ振りが目立たなかったところもあるわけで。
大きな盾となって守ってくれていたんだなぁ、と今頃思うワタクシ。
上司の心、部下知らず、です。

しかも、最終的には驚くほどよい偶然が重なって、
もっとも良い方向で研修を終えることができた気がします。
本当に
「なんなの?!どゆこと?!
 部長の『なんとかなりますって!』という言葉が
 魔力を発揮してるの?!」
と思わずオソロシクなるぐらいの展開。

もっとも「よい結果」に落ち着いたにも関わらず
ワタクシは最後の最後までばたばたして、
部長は最後の最後まで怒られ続けたわけですが。
それでも、
改めてポジティブな言葉は大事なんだなぁ、
と思い知らされた今回の研修でした。

そんな研修の最後に、講師から受講者へ贈られた言葉。
自分用のメモです。

- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -

Yesterday is history.
Tomorrow is mistery.
Today is gift.

昨日は「過去」。歴史は変えられない。くよくよしても仕方がない。
明日は「未来」。まだ何も分からない。心配しても仕方がない。
今日は「神様からの贈り物」。感謝して喜んで受け取ろう。
私たちが喜んで受け取ると贈り手も嬉しくなって、
更なるギフトを用意したくなる。

- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -- ◆ -


恋空/2007年日本

2009年02月11日 11時09分44秒 | 映画鑑賞
4.恋空/2007年日本
■監督:今井夏木
■出演:新垣結衣、三浦春馬、小出恵介
■ストーリ
 平凡な女子高生の美嘉(新垣結衣)は同じ高校に通うヒロ(三浦春馬)と
 運命的に出会い、瞬く間に恋に落ちるが、ヒロの元カノからの
 嫌がらせや妊娠など想像を絶する悲劇に見舞われてしまう。
 そのうえ、ヒロから一方的に別れを告げられた美嘉は、心に
 大きな傷を負うが、ヒロと正反対の穏やかな優(小出恵介)と出会い、
 心癒されていく。

■感想 ☆☆(ガッキーはかわいいっす!)
 ケータイ小説なるものに興味があり、テレビ放送されていたものを
 ついつい鑑賞。大まかな粗筋や傾向は知っているだけに、
 どう考えても立ち読みができなかったんです。
 立ち読みをしている自分、という構図に我慢ならなかったのです。

 で、予想通り。この作品のテンションにまったくついていけず。
 ギブアップ寸前でした。
 たまたま、テレビ放送された日にお食事会をしていた友人たちは
 最初から最後まで、びしびし突っ込みながら見ていたそうですが
 そういった鑑賞で楽しみたかったぞー!
 その見方だと思う存分楽しめる自信がかなりあるぞー!
 と、思っています。
 とはいえ、ガッキーはかわいかったので
 そのかわいらしさを十分に楽しんだのですが。
 でもって、最近、かなりお気に入りの小出さんも出演していて
 そこは非常にうれしかったのですが。

 あぁ。なんだろう。この打ちひしがれ感。
 「恋愛」に対する己の無力感をひしひしと感じました。
 どうでんぐり返ししても、私はこういった恋愛とは無縁で
 でも、世の中にはこういった恋愛に常に囲まれている
 「恋愛体質」の人も確実に存在しているわけで。
 「私の知り合いにもいるよなー、こういう人。」と思い返しながら
 「人生いろいろだなぁ。」としみじみしました。

 それにしてもさー。
 「想像を絶する悲劇」って!!
 どこかで聞いたことあるような話ばかりやん!

HERO The Movie/2007年

2009年02月11日 10時51分33秒 | 映画鑑賞
3.HERO The Movie/2007年
■監督:鈴木雅之
■脚本:福田 靖
■出演:木村拓哉、松たか子、阿部寛、大塚寧々、勝村政信
    小日向文世、八嶋智人、角野卓造、児玉清、国仲涼子
    香川照之、森田一義、石橋蓮司、岸部一徳、古田新太

■ストーリ
 東京地検城西支部に再び戻った久利生(木村拓哉)は、ある傷害致死
 事件の裁判を任されるが、容疑者が初公判で犯行を全面否認、無罪を
 主張したために思わぬ事態を迎えてしまう。
 被告側の弁護士・蒲生(松本幸四郎)は「刑事事件無罪獲得数日本一」
 の超ヤリ手。さらに事件の背後には、大物政治家の花岡練三郎(森田
 一義)が糸を引いていることを突き止める。

■感想 ☆☆☆
 あくまでも「テレビドラマ」の延長戦。
 お祭りムード漂うスペシャルドラマだ。
 それでも、このドラマの雰囲気が大好きだったため、大いに楽しむ
 ことができた。変に小難しくせず、「あくまでもドラマです」と
 開き直った感じの作りこみ方にかえって好感がもてた気がする。
 ドラマを見ていた人にとっては、おなじみの面々と再会できる
 楽しさに満ちた内容だったが、見たことがなくても、十分に
 楽しめるのではないかと思う。

 松さん演じるヒロイン、雨宮の可愛らしさはドラマ以上!
 想いを寄せる久利生が戻ってきた嬉しさや、その嬉しさを素直に
 行動に表せない不器用さをキュートに演じてくれている。
 意地っ張りで生真面目で、でもキュート。
 不器用で意地っ張りだけれど、強がっていることが周囲に
 伝わってしまう素直さを持っているかわいらしいオンナノコ。
 そういった役柄を嫌みなく演じられる松さんは素敵な女優さんだなぁ、
 と心から思った。

 実は、予告を見るたびに、松さん演じるヒロインの髪型に
 不満を感じ、テレビドラマ版の髪型の方が数倍かわいいのに!
 と残念に思っていたのだが、結局のところ、髪型なんて
 瑣末なことなんだと思わせてくれたのは、松さんだからだと思う。
 ラストでは、久利生と雨宮の関係にしっかりと変化が訪れ
 見守ってきたファンとしては大満足のドラマだった。

 ついでながら、タモリさんの存在感も見事。
 実はセリフも出演場面もそんなに多くないけれど、見事な存在感と
 ふてぶてしさでした。

手紙/2006年日本

2009年02月11日 10時44分30秒 | 映画鑑賞
2.手紙/2006年日本

■監督:生野慈朗
■原作:東野圭吾
■出演:山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカ、吹石一恵
    尾上寛之、風間杜夫、吹越満、杉浦直樹
■ストーリ
 工場で働く20歳の武島直貴(山田孝之)は、職場の人間とも
 まるで打ち解けず、人目を避けるように暮らしていた。
 唯一の家族である兄・剛志(玉山鉄二)は、直貴の学費欲しさに
 盗みに入った邸宅で老婆を殺してしまい、現在、服役中だ。
 兄が罪を犯したのは、自分のせいだと自責する直貴は、
 せめてもの償いにと服役中の兄から届く手紙に丁寧な返事を
 書き続けていた。しかし、兄のせいで夢も愛も失った直貴は
 兄を捨てようと決意する。

■感想 ☆☆☆☆
 2回目の鑑賞。初めて鑑賞した際は、原作の重厚さには敵わないと
 感じましたが、2回目の鑑賞では、原作よりも希望のある終わり方を
 する映画のほうが好きかもしれない、というふうに意見が
 変わりました。時間制限がある映画でここまで丁寧に作品世界を
 作り上げている点で、原作への愛情を感じます。

  この頃はまだ「清純派」だった沢尻さんがさすがの演技力で
 主人公を健気に支えるヒロインを見事に演じていました。久しぶりに
 彼女の演技を見て、やっぱり演技をしているときの彼女は魅力的だ
 と感じました。あの表情が好きなんだよなぁ・・・。
 「やりすぎない」感じの「清楚さ」が絶妙です。

 そして、2回目の鑑賞でも、やはり一番の見せ場だと思う杉浦さん。
 彼の演技と台詞で私はまたもや泣いてしまいました。
 なぜ犯罪を犯してはいけないのか。
 なぜ犯罪者の家族までもが社会的制裁を受けるのか。
 そういった問いかけに対して説得力のある解答を用意してくれています。
 少なくとも私は、この杉浦さんの言葉に納得しました。

転々/2007年日本

2009年02月11日 10時34分35秒 | 映画鑑賞
1.転々/2007年日本

■監督:三木聡
■出演:オダギリジョー、三浦友和、小泉今日子、吉高由里子
    ふせえり、松重豊、岩松了、岸部一徳
■ストーリ
 歩けばわかる、やさしくなれる
 幼いころに両親に捨てられた孤独な大学8年生の竹村文哉
 (オダギリジョー)は、いつの間にか84万円もの借金をこしらえ、
 返済の期限があと3日に迫っていた。しかし、その期限の前日、
 文哉は借金取りの福原(三浦友和)から借金をチャラにする方法を
 提案される。それは、吉祥寺から霞か関まで歩く「東京散歩」に
 付き合うことだった。

■感想 ☆☆☆☆*
 オダギリジョーさんと三浦友和さん、加えて「時効警察」の
 スタッフ陣。私にとって夢のようなメンバのコラボで作られた映画。
 予告を見た時から「絶対、面白いはず!!」と確信していたけれど
 確信どおり、心温まる素敵な映画だった。

 映画は全編を通して、あくまでも「時効警察」のスタイル、テンポを
 崩さない。ゆるやかで随所にふざけ調子が漂う。しかし、終盤は
 家族について視点を絞り、孤独や寂寥感を感じさせる終わり方だった。
 予告から、どころか、見始めて1時間経過した時点でさえ、
 こういった気持ちでこの映画を見終えることになるとは、まったく
 予想だにしていなかった。
 まさに予想外。しかし、その予想外が不愉快ではなく、むしろ満足度を
 高めてくれる。映画を見終えた後、切なくて寂しくて泣きたい気持ちに
 なった。それらの感情は主人公と共感できたからこそ、そして登場人物
 たちに愛着をもてたからこそ味わえる寂しさで、もっと登場人物たちの
 今後を見守りたい、見届けたいと思わせてくれる映画だった。

 最近の三浦さんは、こういった飄々とした中に殿方の渋さが
 垣間見える雰囲気の役柄をよく演じられていて、ますます好きだなー、
 とうっとりと見つめました。

十一首目:みちのくの・・・・

2009年02月11日 10時33分49秒 | 百人一首
陸奥の しのぶもぢずり たれ故に
 乱れそめにし われならなくに

■のりぞう的解釈
 陸奥地方に伝わる「もぢずり」って衣知ってます?
 いろんな草の汁を染めて模様にした衣のことですよ。
 その衣のように、私の心は乱れて乱れて乱れてしまいました。
 染めたのは誰ですか?私じゃありませんよ。
 まったくもう!

  注:文法書などまったく調べてません。
    のりぞうはこういう意味だと思ってます。
    という解釈ですので、十中八九間違ってるところや
    浅いところがあると思います。信じ過ぎませんように。

■ひとことふたことみこと
 もはや百年プロジェクトに入ろうとしているこのカテゴリですが。
 この歌は、百人一首を覚え始めた頃、母親が「私も学校でいくつか
 覚えさせられたことあるわ。」と言い出した歌のひとつです。
 未だに覚えていることに母親自身が驚いていました。
 そうなんです。学校で覚えさせられた詩や俳句、古文漢文の
 冒頭部分って、結構、いつまでも覚えてるもんなんですよね。
 言葉がすっかり自分のオトモダチになってる状態なんだなー
 と嬉しく思う瞬間です。
 今は、国語の時間も減らされて「暗唱」させられることって
 あまりないようですが、こういのって、実は国語で結構、必要と
 されてる部分なんじゃないかなー、と思うのです。
 意味が分かってなくても、とりあえず覚えさせる。
 覚えるために何度も何度も口ずさむ。その中で伝わってくるものも
 あると思うのです。

 この歌は「忍ぶ恋」の代表選手のような歌なんだそうです。
 心に秘めていて、口にすることができない恋のお相手。
 好きになってはいけない人を好きになってしまった男性の
 「なんで!!」という思いとか「好きになっちゃいけないって
 ちゃんと分かってるのに!」という自分への苛立ちとかが
 短い言葉の中にぎゅっと練りこまれてるなぁと思うのです。
 なんだかちょっぴり逆ギレに近い感情を感じさせられる部分が
 ワタクシ的にとっても親近感を抱く歌。
 心が自分の思い通りになるんだったら、もっともっと楽なのに。
 と、よく思いますが、でも、感情のコントロールが自分で
 できているうちは、この感情はまだ「恋」じゃないんだな、
 とも思います。人間ってムズカシイ。

1973年のピンポール/村上春樹

2009年02月11日 10時30分54秒 | 読書歴
6.1973年のピンポール/村上春樹
■ストーリ
 僕たちの終章はピンボールで始まった。雨の匂い、
 古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール。青春の彷徨は、いま、
 終わりの時を迎える。さようなら、3(スリー)フリッパーの
 スペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹と
 「僕」の日々。女の温もりに沈む「鼠」の渇き。やがて来る
 ひとつの季節の終り。1973年9月に始まり、11月に終わる
 「僕」と「鼠」の話。

■感想 ☆☆*
 デビュー作「風の歌を聴け」の続編。三部作の第二部、らしい。
 「僕」の物語と鼠の物語がパラレル(平行)に進行していく。
 「僕」は大学を卒業し、翻訳で生計を立てているが、
 ふとしたことから双子の女の子と共同生活を始めることになる。
 ある日、「僕」の心はピンボールに囚われる。
 1970年、ジェイズ・バーで「鼠」が好んでプレイし、
 その後「僕」も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台
 「スペースシップ」。そのピンボールを探し始めた僕は、ついに
 倉庫にたどりつき・・・と文章にすると、どういう話だよ・・・
 という気持ちになるが、実際に読んでいる際も読み終えた後も
 「どこにこの話は行きつくんだろう」と思っていた。
 まさに「パラレル」。話は既成概念の枠を超えて自由に広がり始める。

 色々な挿話がちりばめられ、そのいくつかは収束しないまま、
 作品の終わりを迎える。読みやすい文章と奇妙なストーリ展開は
 1作目から変わらず、作者に煙に巻かれているような気さえする。
 それでも、私にとってその奇妙さこそがこの作品の魅力であり、
 癖になっているのだと思う。「僕」はエッセイから垣間見える
 村上さんと見事に重なる。彼の仕事に対するスタンスや取り組み方が
 かっこよくて、そこに私は惹かれている部分も大きいのだと思う。

風の歌を聴け/村上春樹

2009年02月11日 10時24分19秒 | 読書歴
5.風の歌を聴け/村上春樹
■ストーリ
 20代最後の年を迎えた「僕」は、アメリカの作家デレク・
 ハートフィールドについて考え、文章を書くことはひどく
 苦痛であると感じながら、1970年の夏休みの物語を語りはじめる。
 海辺の街に帰省した「僕」は友人の「鼠」とビールを飲み、
 介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。
 ふたりそれぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめているうちに、
 「僕」の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。

■感想 ☆☆☆
 図書館で見つけた村上春樹全集1巻。春樹さんデビュー作である。
 群像新人賞を受賞したものの、賛否両論おおいに別れて、
 物議をかもしだしたらしい。私の春樹さんに関する記憶は
 中学生の頃にベストセラーとなった「ノルウェイの森」からなので、
 この辺りのことは全く知らない。ただ、1年前の私はアンチ春樹派
 だったので、物議を醸し出したことは納得できる気がする。

 読んでも内容が頭に入らない。ストーリが理解できない。
 クライマックスが存在しない。そういった理由から、私は彼の
 作品を面白いとは思えなかった。
 その状況は、今もあまり変わっていない。
 実に分かりやすく読みやすい文章なのに、読みやすいからこそ、
 頭の中をさらさらと文章が流れていく。分かりやすく、しかし
 真意が掴みにくい文章。きっと、私はこの物語を読んではいるけれど、
 理解はできていない。そういった気持ちにさせられる寓話の数々。

 それでも、読み終わって「好きだな」と思えるようになったのは、
 作品から伝わってくるのが「人への優しい思い」「愛情」
 だからかもしれない。
 怠惰で物憂げな主人公たちは熱くなることなどなく、クールに
 過ごして見せている。人との会話も常にはぐらかしたような対応
 しかしない。色々なことに対して虚無感や無力感を抱いている。
 「生きる」ことに特別な意味はない。
 「書く」ことで、本当のことなど何も伝わらない。
 モノローグで伝わってくるこういった思い。
 その中で意図的に挟みこまれる主人公たちとは対照的なまでに
 騒々しいラジオのDJがリスナーに語りかける場面。
 「実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ。」
「そんな風に感じたのは初めてだった。」
 「急に涙が出てきた。泣いたのは本当に久しぶりだった。」
 「君に同情して泣いたわけじゃないんだ。」
 「僕は・君たちが・好きだ。」

 結局のところ、この作品を読みこめたのかどうか、理解できて
 いるのかどうか、私は未だにまったく自信がない。
 ただ、そういったことは別にして、この作品に流れる空気、
 彼の紡ぐ文章がただ好きなのだと思う。

山ん中の獅見朋成雄/舞城王太郎

2009年02月11日 10時19分44秒 | 読書歴
4.山ん中の獅見朋成雄/舞城王太郎
■ストーリ
 僕の首の後ろにも、他人よりもちょっと濃いめの産毛が生まれた
 ときから生えていて、これが物心ついたころから僕の抱えた爆弾
 だったのだけれど、十三歳になってすぐのある晩、自分の鎖骨を
 こすっていて、そこにいつもとは違う感触を感じてうつむいて、
 首元に赤くて長くてコリコリと固い明らかな鬣の発芽を確かめた
 とき、それまでは祖父と父と同じように背中に負ぶっているつもり
 だった爆弾が、気づけば僕だけ胸の上にも置かれていたと知って
 ショックで、その上さらにその導火線にとうとう火が点けられたのを
 実感して、僕は絶望した。
 福井県・西暁の中学生、獅見朋成雄から立ち上がる神話的世界。

■感想 ☆☆☆*
 相も変わらず、疾走感あふれる文章にめまいを感じる。
 文章作法から言うとありえない文章の長さで切れ目なく続く
 主人公の独白は、長い文章なのに冗長ではなく、いっそリズミカルだ。
 めまいを感じながらも読み続けていると、徐々に目がそらせなくなる。
 なんともいえない魅力にあふれた世界が待ち受けている。
  突き抜けた世界観と凝音まみれの独特の描写。
 それらが舞城ワールドを作り上げ、読者を引き込む。作りこまれた
 世界ならではの「物語っぽさ」「ウソ臭さ」に満ちているにも関わらず、
 そして、登場人物たちはみな、奇妙で癖がある人たちばかりにも
 関わらず、実に人間臭くアイデンティティの確立や人間の原罪について、
 思い悩んでいる。その姿が妙なリアリティを醸し出す。
  先祖代代、背中に鬣を持つ少年は、その獣のような鬣(たてがみ)を
 気に病み、人間と動物の違いについて考え続ける。そして、獣の
 象徴である鬣(たてがみ)を剃ったことをきっかけに、
 吹っ切れたように人を殺し続ける。罪の意識もないまま、人を殺し、
 食事として殺した人の肉を食す。
 人間は、何をもって、自分を「自分」と認識するのか。
 自分たち人間と動物を区分けするものは何なのか。
 私たちの自我は何に支えられているのか。
 様々なことを考えさせられるが、理屈抜きにして、その文体を、
 その躍動を楽しめる作品でもある。
  後半は少々、グロさを感じさせる怒涛の展開だが、それでもなぜか
 読後感はさわやか。主人公は色々あって自分を見失いかけたけれど、
 結局のところ、友達を見捨てず、友達と一緒に自分たちのいた
 世界へ戻っていく。元の世界に戻ったけれど、主人公は、確実に
 今までの自分とは異なるのだろう。自分のコンプレックスとしっかり
 向き合って、自分の背中にある鬣とも折り合いをつけて、それでも
 「変わらない人」と「変わらない場所」に戻ってきた主人公だから、
 さわやかな気持ちで読み終えられたのだと思う。