のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

手紙/2006年日本

2009年02月11日 10時44分30秒 | 映画鑑賞
2.手紙/2006年日本

■監督:生野慈朗
■原作:東野圭吾
■出演:山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカ、吹石一恵
    尾上寛之、風間杜夫、吹越満、杉浦直樹
■ストーリ
 工場で働く20歳の武島直貴(山田孝之)は、職場の人間とも
 まるで打ち解けず、人目を避けるように暮らしていた。
 唯一の家族である兄・剛志(玉山鉄二)は、直貴の学費欲しさに
 盗みに入った邸宅で老婆を殺してしまい、現在、服役中だ。
 兄が罪を犯したのは、自分のせいだと自責する直貴は、
 せめてもの償いにと服役中の兄から届く手紙に丁寧な返事を
 書き続けていた。しかし、兄のせいで夢も愛も失った直貴は
 兄を捨てようと決意する。

■感想 ☆☆☆☆
 2回目の鑑賞。初めて鑑賞した際は、原作の重厚さには敵わないと
 感じましたが、2回目の鑑賞では、原作よりも希望のある終わり方を
 する映画のほうが好きかもしれない、というふうに意見が
 変わりました。時間制限がある映画でここまで丁寧に作品世界を
 作り上げている点で、原作への愛情を感じます。

  この頃はまだ「清純派」だった沢尻さんがさすがの演技力で
 主人公を健気に支えるヒロインを見事に演じていました。久しぶりに
 彼女の演技を見て、やっぱり演技をしているときの彼女は魅力的だ
 と感じました。あの表情が好きなんだよなぁ・・・。
 「やりすぎない」感じの「清楚さ」が絶妙です。

 そして、2回目の鑑賞でも、やはり一番の見せ場だと思う杉浦さん。
 彼の演技と台詞で私はまたもや泣いてしまいました。
 なぜ犯罪を犯してはいけないのか。
 なぜ犯罪者の家族までもが社会的制裁を受けるのか。
 そういった問いかけに対して説得力のある解答を用意してくれています。
 少なくとも私は、この杉浦さんの言葉に納得しました。

転々/2007年日本

2009年02月11日 10時34分35秒 | 映画鑑賞
1.転々/2007年日本

■監督:三木聡
■出演:オダギリジョー、三浦友和、小泉今日子、吉高由里子
    ふせえり、松重豊、岩松了、岸部一徳
■ストーリ
 歩けばわかる、やさしくなれる
 幼いころに両親に捨てられた孤独な大学8年生の竹村文哉
 (オダギリジョー)は、いつの間にか84万円もの借金をこしらえ、
 返済の期限があと3日に迫っていた。しかし、その期限の前日、
 文哉は借金取りの福原(三浦友和)から借金をチャラにする方法を
 提案される。それは、吉祥寺から霞か関まで歩く「東京散歩」に
 付き合うことだった。

■感想 ☆☆☆☆*
 オダギリジョーさんと三浦友和さん、加えて「時効警察」の
 スタッフ陣。私にとって夢のようなメンバのコラボで作られた映画。
 予告を見た時から「絶対、面白いはず!!」と確信していたけれど
 確信どおり、心温まる素敵な映画だった。

 映画は全編を通して、あくまでも「時効警察」のスタイル、テンポを
 崩さない。ゆるやかで随所にふざけ調子が漂う。しかし、終盤は
 家族について視点を絞り、孤独や寂寥感を感じさせる終わり方だった。
 予告から、どころか、見始めて1時間経過した時点でさえ、
 こういった気持ちでこの映画を見終えることになるとは、まったく
 予想だにしていなかった。
 まさに予想外。しかし、その予想外が不愉快ではなく、むしろ満足度を
 高めてくれる。映画を見終えた後、切なくて寂しくて泣きたい気持ちに
 なった。それらの感情は主人公と共感できたからこそ、そして登場人物
 たちに愛着をもてたからこそ味わえる寂しさで、もっと登場人物たちの
 今後を見守りたい、見届けたいと思わせてくれる映画だった。

 最近の三浦さんは、こういった飄々とした中に殿方の渋さが
 垣間見える雰囲気の役柄をよく演じられていて、ますます好きだなー、
 とうっとりと見つめました。

十一首目:みちのくの・・・・

2009年02月11日 10時33分49秒 | 百人一首
陸奥の しのぶもぢずり たれ故に
 乱れそめにし われならなくに

■のりぞう的解釈
 陸奥地方に伝わる「もぢずり」って衣知ってます?
 いろんな草の汁を染めて模様にした衣のことですよ。
 その衣のように、私の心は乱れて乱れて乱れてしまいました。
 染めたのは誰ですか?私じゃありませんよ。
 まったくもう!

  注:文法書などまったく調べてません。
    のりぞうはこういう意味だと思ってます。
    という解釈ですので、十中八九間違ってるところや
    浅いところがあると思います。信じ過ぎませんように。

■ひとことふたことみこと
 もはや百年プロジェクトに入ろうとしているこのカテゴリですが。
 この歌は、百人一首を覚え始めた頃、母親が「私も学校でいくつか
 覚えさせられたことあるわ。」と言い出した歌のひとつです。
 未だに覚えていることに母親自身が驚いていました。
 そうなんです。学校で覚えさせられた詩や俳句、古文漢文の
 冒頭部分って、結構、いつまでも覚えてるもんなんですよね。
 言葉がすっかり自分のオトモダチになってる状態なんだなー
 と嬉しく思う瞬間です。
 今は、国語の時間も減らされて「暗唱」させられることって
 あまりないようですが、こういのって、実は国語で結構、必要と
 されてる部分なんじゃないかなー、と思うのです。
 意味が分かってなくても、とりあえず覚えさせる。
 覚えるために何度も何度も口ずさむ。その中で伝わってくるものも
 あると思うのです。

 この歌は「忍ぶ恋」の代表選手のような歌なんだそうです。
 心に秘めていて、口にすることができない恋のお相手。
 好きになってはいけない人を好きになってしまった男性の
 「なんで!!」という思いとか「好きになっちゃいけないって
 ちゃんと分かってるのに!」という自分への苛立ちとかが
 短い言葉の中にぎゅっと練りこまれてるなぁと思うのです。
 なんだかちょっぴり逆ギレに近い感情を感じさせられる部分が
 ワタクシ的にとっても親近感を抱く歌。
 心が自分の思い通りになるんだったら、もっともっと楽なのに。
 と、よく思いますが、でも、感情のコントロールが自分で
 できているうちは、この感情はまだ「恋」じゃないんだな、
 とも思います。人間ってムズカシイ。

1973年のピンポール/村上春樹

2009年02月11日 10時30分54秒 | 読書歴
6.1973年のピンポール/村上春樹
■ストーリ
 僕たちの終章はピンボールで始まった。雨の匂い、
 古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール。青春の彷徨は、いま、
 終わりの時を迎える。さようなら、3(スリー)フリッパーの
 スペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹と
 「僕」の日々。女の温もりに沈む「鼠」の渇き。やがて来る
 ひとつの季節の終り。1973年9月に始まり、11月に終わる
 「僕」と「鼠」の話。

■感想 ☆☆*
 デビュー作「風の歌を聴け」の続編。三部作の第二部、らしい。
 「僕」の物語と鼠の物語がパラレル(平行)に進行していく。
 「僕」は大学を卒業し、翻訳で生計を立てているが、
 ふとしたことから双子の女の子と共同生活を始めることになる。
 ある日、「僕」の心はピンボールに囚われる。
 1970年、ジェイズ・バーで「鼠」が好んでプレイし、
 その後「僕」も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台
 「スペースシップ」。そのピンボールを探し始めた僕は、ついに
 倉庫にたどりつき・・・と文章にすると、どういう話だよ・・・
 という気持ちになるが、実際に読んでいる際も読み終えた後も
 「どこにこの話は行きつくんだろう」と思っていた。
 まさに「パラレル」。話は既成概念の枠を超えて自由に広がり始める。

 色々な挿話がちりばめられ、そのいくつかは収束しないまま、
 作品の終わりを迎える。読みやすい文章と奇妙なストーリ展開は
 1作目から変わらず、作者に煙に巻かれているような気さえする。
 それでも、私にとってその奇妙さこそがこの作品の魅力であり、
 癖になっているのだと思う。「僕」はエッセイから垣間見える
 村上さんと見事に重なる。彼の仕事に対するスタンスや取り組み方が
 かっこよくて、そこに私は惹かれている部分も大きいのだと思う。

風の歌を聴け/村上春樹

2009年02月11日 10時24分19秒 | 読書歴
5.風の歌を聴け/村上春樹
■ストーリ
 20代最後の年を迎えた「僕」は、アメリカの作家デレク・
 ハートフィールドについて考え、文章を書くことはひどく
 苦痛であると感じながら、1970年の夏休みの物語を語りはじめる。
 海辺の街に帰省した「僕」は友人の「鼠」とビールを飲み、
 介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。
 ふたりそれぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめているうちに、
 「僕」の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。

■感想 ☆☆☆
 図書館で見つけた村上春樹全集1巻。春樹さんデビュー作である。
 群像新人賞を受賞したものの、賛否両論おおいに別れて、
 物議をかもしだしたらしい。私の春樹さんに関する記憶は
 中学生の頃にベストセラーとなった「ノルウェイの森」からなので、
 この辺りのことは全く知らない。ただ、1年前の私はアンチ春樹派
 だったので、物議を醸し出したことは納得できる気がする。

 読んでも内容が頭に入らない。ストーリが理解できない。
 クライマックスが存在しない。そういった理由から、私は彼の
 作品を面白いとは思えなかった。
 その状況は、今もあまり変わっていない。
 実に分かりやすく読みやすい文章なのに、読みやすいからこそ、
 頭の中をさらさらと文章が流れていく。分かりやすく、しかし
 真意が掴みにくい文章。きっと、私はこの物語を読んではいるけれど、
 理解はできていない。そういった気持ちにさせられる寓話の数々。

 それでも、読み終わって「好きだな」と思えるようになったのは、
 作品から伝わってくるのが「人への優しい思い」「愛情」
 だからかもしれない。
 怠惰で物憂げな主人公たちは熱くなることなどなく、クールに
 過ごして見せている。人との会話も常にはぐらかしたような対応
 しかしない。色々なことに対して虚無感や無力感を抱いている。
 「生きる」ことに特別な意味はない。
 「書く」ことで、本当のことなど何も伝わらない。
 モノローグで伝わってくるこういった思い。
 その中で意図的に挟みこまれる主人公たちとは対照的なまでに
 騒々しいラジオのDJがリスナーに語りかける場面。
 「実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ。」
「そんな風に感じたのは初めてだった。」
 「急に涙が出てきた。泣いたのは本当に久しぶりだった。」
 「君に同情して泣いたわけじゃないんだ。」
 「僕は・君たちが・好きだ。」

 結局のところ、この作品を読みこめたのかどうか、理解できて
 いるのかどうか、私は未だにまったく自信がない。
 ただ、そういったことは別にして、この作品に流れる空気、
 彼の紡ぐ文章がただ好きなのだと思う。

山ん中の獅見朋成雄/舞城王太郎

2009年02月11日 10時19分44秒 | 読書歴
4.山ん中の獅見朋成雄/舞城王太郎
■ストーリ
 僕の首の後ろにも、他人よりもちょっと濃いめの産毛が生まれた
 ときから生えていて、これが物心ついたころから僕の抱えた爆弾
 だったのだけれど、十三歳になってすぐのある晩、自分の鎖骨を
 こすっていて、そこにいつもとは違う感触を感じてうつむいて、
 首元に赤くて長くてコリコリと固い明らかな鬣の発芽を確かめた
 とき、それまでは祖父と父と同じように背中に負ぶっているつもり
 だった爆弾が、気づけば僕だけ胸の上にも置かれていたと知って
 ショックで、その上さらにその導火線にとうとう火が点けられたのを
 実感して、僕は絶望した。
 福井県・西暁の中学生、獅見朋成雄から立ち上がる神話的世界。

■感想 ☆☆☆*
 相も変わらず、疾走感あふれる文章にめまいを感じる。
 文章作法から言うとありえない文章の長さで切れ目なく続く
 主人公の独白は、長い文章なのに冗長ではなく、いっそリズミカルだ。
 めまいを感じながらも読み続けていると、徐々に目がそらせなくなる。
 なんともいえない魅力にあふれた世界が待ち受けている。
  突き抜けた世界観と凝音まみれの独特の描写。
 それらが舞城ワールドを作り上げ、読者を引き込む。作りこまれた
 世界ならではの「物語っぽさ」「ウソ臭さ」に満ちているにも関わらず、
 そして、登場人物たちはみな、奇妙で癖がある人たちばかりにも
 関わらず、実に人間臭くアイデンティティの確立や人間の原罪について、
 思い悩んでいる。その姿が妙なリアリティを醸し出す。
  先祖代代、背中に鬣を持つ少年は、その獣のような鬣(たてがみ)を
 気に病み、人間と動物の違いについて考え続ける。そして、獣の
 象徴である鬣(たてがみ)を剃ったことをきっかけに、
 吹っ切れたように人を殺し続ける。罪の意識もないまま、人を殺し、
 食事として殺した人の肉を食す。
 人間は、何をもって、自分を「自分」と認識するのか。
 自分たち人間と動物を区分けするものは何なのか。
 私たちの自我は何に支えられているのか。
 様々なことを考えさせられるが、理屈抜きにして、その文体を、
 その躍動を楽しめる作品でもある。
  後半は少々、グロさを感じさせる怒涛の展開だが、それでもなぜか
 読後感はさわやか。主人公は色々あって自分を見失いかけたけれど、
 結局のところ、友達を見捨てず、友達と一緒に自分たちのいた
 世界へ戻っていく。元の世界に戻ったけれど、主人公は、確実に
 今までの自分とは異なるのだろう。自分のコンプレックスとしっかり
 向き合って、自分の背中にある鬣とも折り合いをつけて、それでも
 「変わらない人」と「変わらない場所」に戻ってきた主人公だから、
 さわやかな気持ちで読み終えられたのだと思う。

今年最初のアドバイス

2009年02月08日 01時03分58秒 | 日常生活
先週末は同期の結婚式でした。
グランドハイアットでの結婚式だったため
翌日は一緒に結婚式に出席した同期と
六本木ヒルズで下界を見下ろしながらランチ。
「金に糸目をつけねーぜ」
「30代の独身女性の財力を見せ付けてやろうぜ。」をコンセプトに
気になるメニューをどんどん注文していたところ、親切な店員さんに
「・・・結構、量が多いですよ?
 これはやめておいた方がいいと思いますよ。」
と穏やかにたしなめられました。
親切な店員さんにちょっぴり感激。

同期が親切にも窓からの景色が見渡せる席を譲ってくれたため
(心からありがとう。)贅沢な景色を堪能しつつ
そして出てくる料理、どれもこれもイチイチ美味しい状況に感動しつつ、
それでもジョシ力は目一杯発揮して
力いっぱい喋りながらのランチ。

んまいー!
きれー!
たのしー!!

と感動三昧。
ジョセイ二名が集まると、社内の噂話からドラマ話、
将来の話など話題がつきません。
勿論、コイバナは必須☆

というわけで、今年のお正月から巻き込まれた
ワタクシの奇怪なコイバナを披露したところ
同期からしみじみと、そして若干、真剣にされたアドバイス。

「・・・のりちゃん。
 一度、お祓いしてもらったほうがいいと思うヨ。」

コイバナのアドバイスにお祓い。
・・・しかも、若干、心が動きかけちゃったし。

信じてください

2009年02月08日 00時44分25秒 | 日常生活
久々に同期飲み会が開催されました。
ちょこちょこと同期で集まってはいるものの
全体に開催を呼びかける飲み会は、数年ぶりです。
全体に呼びかけても、福岡にいる人はごくわずか。
そして、仕事の都合がつく人は更にわずか。
というわけで、集まったのは8名でした。

それでも「ゆっくりお話ししたのは何年前だっけ?!」
と思わず過去を振り返りたくなるような同期とも久々に会えて
思いっきり飲んで笑った幸せな金曜日でした。

話題は尽きないものの、
やはり一番盛り上がるのは社内の方々の噂話。
「こんな人がいるらしい。」
「あの人、実はこういう人らしい。」
「社内でこんなことがあったらしい。」
改めて思う業界のカラー。
さすがだなー。ユニークな人が多いなー。
と、思わず遠い目になりました。

そんな中、話題は辞めた後輩のだんな様へ。
同期がお世話係をした後輩のだんな様が
ワタクシの高校時代の同級生だったのです。
世間って狭いなー。
・・・世間じゃなくて、福岡が狭いのか?

そのだんな様のエリートぶりを同期が披露。
そうそう!結構なエリートなのです
で、エリートなのに(ちょう偏見)ものすごーく「いい人」!
しかも、かっこいいの!素敵だったの!!

と、力説していると、彼と会ったことのある同期が首をかしげました。
「・・・・かっこよかったっけ?城島に似とったよね?」




・・・あれ?城島ってめっちゃかっこよくない?
あれ?あの人って「かっこいい人」じゃないの?・・・おや?

ビミョウな空気が流れます。
そんな中、ワタクシの隣の席に座っていた同期が
みんなを代弁して結論を口にしました。

「ま。所詮はのりぞうが思う『かっこいい』やけん。
 こいつの『かっこいい』は人と観点が違うけん。」

「そっかー。そーだよねー。」
「そういうことかー。」
笑顔で納得する同期の面々。



・・・・え?その結論で納得?
なんとなく屈辱的です。

好き好き大好き超愛してる/舞城王太郎

2009年02月07日 23時42分43秒 | 読書歴
3.好き好き大好き超愛してる/舞城王太郎
■ストーリ
 愛は祈りだ。僕は祈る。
 小説家である主人公と、主人公の亡くなった恋人柿緒との恋愛小説。
 柿緒I、柿緒II、柿緒IIIで小節に分かれており、その小節の間に
 全く別の話になるSF的な恋愛小説を挟むような形式になっている。
 柿緒の小説の間にある一見関係なさそうなSF的な恋愛小説は、
 小説家である主人公が柿緒の死に影響をうけて書いたもの。

■感想 ☆☆☆☆*
 完全に食わず嫌いだった作家、舞城王太郎さん。
 私の中では、西尾維新さんや清涼院流水さんの作品と
 同じカテゴリに入っていて、「食わず嫌い」というよりは、
 「気になってはいるけれど、パワーがありすぎて近寄るのに
 勇気がいる」作家さんだった。その「食わず嫌い」感は、
 脱力感さえも感じさせるこのタイトルによって、さらに強くなった。
 しかし、この強烈なタイトルに却って目が離せなくなり、
 「とうとう」(という気持ちに勝手になりつつ)手に取った。

 癖のある文体は、慣れるまで違和感を覚え、少々戸惑いながら
 他の作家さんの本よりも時間をかけて読み進めた。
 パワーと勢いがありすぎて、文章に引きずられてしまう。
 そのパワーに委縮してしまう。恐れを感じてしまう。
 最初の印象どおりの作品なのかと思いながら読み進めた序盤。
 章が変わり、「主人公が書いた小説」から「主人公の話」に話が移り、
 物語は更に勢いを増し、いつしか私は物語の中に完全に
 引きずり込まれていた。そのパワーに心底、圧倒された。

 この作品は「世界の中心で愛を叫ぶ」のアンチテーゼとして
 書かれたものらしい。けれど、そういったことは無関係に、
 純粋に言葉の持つ力そのものに圧倒された。
 言葉は言葉だけでは無力で、それに力を与えるのは結局のところ
 人の想いなのだという当たり前のことに改めて思いを馳せた。

 「祈り」に「人の想い」に「言葉」に力はあるのか。
 それらは世界を変えることはできるのか。
 そういった問いかけに舞城さんは力強く答える。
 言葉に力はある、と。祈りは無駄じゃない、と。
 特に祈りに関する文章には心打たれて何度も読み返した。
 祈りは「そうなってほしい」と願っていることを口にすること。
 自分が願っていることを確認する行為。
 欲望を口にする行為でありながら、どこまでも無欲な行為で
 だから人は祈りが聞き届けられなかったからといって
 「祈って無駄だった。祈った時間返せ。」なんて思わない。
 それが祈りだ。こういった論旨の文章に、心底納得した。
 今まで漠然と続けてきた行動が言葉とすっきり結びつき、
 爽快感を抱いた。

 食わず嫌いなんてするもんじゃない。
 気になる出会いは大切にしなければ。そう思った作品。

凍りのくじら/辻村深月

2009年02月07日 23時28分16秒 | 読書歴
106.凍りのくじら/辻村深月
2.凍りのくじら/辻村深月

・・・今更ですが、2008年読了本。
しかし、2009年に入って、再度、読み返しました。
短期間で2度も読み直しているあたりからも
かなりのお気に入りぶりが伝わるかと・・・。

■ストーリ
 藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して
 5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」
 と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、徐々に他の人には
 見せたことがなかった自分の内面を見せていく理帆子。
 同じ頃に始まった不思議な警告。やがて警告は警告だけに終わらず、
 みんなが愛する「不思議な道具」が必要になる。

■感想 ☆☆☆☆☆
 ドラえもんへの愛情がいっぱい詰まった物語。
 子供時代をドラえもんと一緒に過ごしたことがある人であれば、
 そして、あの世界観を知っている人であれば、あの作品への愛情を
 一緒に分かち合えるであろう作品だ。しかし、それだけではない。
 ドラえもんを見たことがない人、あの作品世界で多くの時間を
 過ごしたことがない人であっても、十分に共感し、楽しむことが
 できる普遍的なテーマをきちんと持っている作品だった。

 ヒロインが抱いている孤独は大きい。
 彼女は、自分を含めて全体を客観的に捉えられる能力を持っている。
 それ故、周囲を一段下に見下し、他人と正面から向き合わずに
 一線をおいた接し方、距離の取り方をする。しかし、自分の
 そういったものの見方に対して、誰よりも彼女自身が一番
 「鼻もちのならなさ」を実感している。そういった不器用な生き方、
 人との接し方が痛々しい。

 自分自身のことも自分を取り巻く人のことも客観的に
 捉えることができていると思いこんでいる彼女が冷静に繰り広げる
 客観的な状況説明と、その合間に時折、挟まれる無意識の
 モノローグが対照的で痛々しい。
 自分の嫌な面や欠点をしっかりと捉えることができていても
 自分の孤独には気づけない不安定さ、周囲から与えられている愛情を
 受け取ることができない不器用さが彼女をどんどん孤立させ、
 自分の世界に閉じこもらせてしまう。

 終盤、彼女が遭遇する不思議な事件は、現実には
 ありえないことかもしれない。しかし、その暖かさは
「こんなことが起こったらいい。起こってほしい。
物語の中でぐらい、こういった奇跡を信じたい。」
 と思わせてくれるものだった。
 辻村さんらしい素敵なお話の終わり方で、彼女の「優しさ」が
 全編に行き渡っている作品だと思う。