本日、親戚の家に遊びに行くことにしていたので、母上にも
「今日、行くよ。母も行かない?」
と声をかけところ悲壮な面持ちで
「ごめん。今日は行けないわ・・・。」とお断りをされました。
な、なんで?
とその悲壮な表情に恐れをなして、おそるおそる尋ねたところ
「お雛様、片付けなくっちゃ。」
という回答が戻ってきたのでした。
なにせ我が家のお雛様は、これ以上かわいいお雛様見たことないよ!というぐらいの別嬪さん。
我が家の女性陣の寵愛を一身に受けているため、本来なら3月3日でなおされるはずのところ、
「旧暦の3月3日まで」という我が家ルールができ、毎年4月3日まで飾られるようになったのです。
「なのに。今年はもう4月の3日すら過ぎちゃった!
これ以上、あんたの婚期遅らせられんのに!
ホントごめんね・・・。婚期、また遅れちゃうね。」
と悲愴な面持ちのまま、謝り続ける母上様。
・・・えっと。
その変な罪悪感、まったくもって無用なんですけどー。
わたしもそこに責任感とか罪悪感とか求めてないっていうか
そこはいちおー最近はやりの「自己責任」なるものを受け入れてるんですけどー。
と、母上にもごもごと回答したのでした。
・・・なんだ?このやりとり。
お雛様もね、ものすごい寵愛受け続けてるっていうのに、
その割に、私の婚期についての責任は問われるなんて、かわいそうにも程があるっていうか。
古くからの言い伝えってすごいな、無意識のうちに刷り込まれてるもんだな、
人の思考に大きな影響を残してるもんだな、と思ったのでした。
それにしてもお雛様が不憫すぎる。
私はお雛様のせいになんかしてないからねー、と言い聞かせながら、
来年までのしばしの別れを惜しみ、親戚宅へ旅立ったのでした。
「今日、行くよ。母も行かない?」
と声をかけところ悲壮な面持ちで
「ごめん。今日は行けないわ・・・。」とお断りをされました。
な、なんで?
とその悲壮な表情に恐れをなして、おそるおそる尋ねたところ
「お雛様、片付けなくっちゃ。」
という回答が戻ってきたのでした。
なにせ我が家のお雛様は、これ以上かわいいお雛様見たことないよ!というぐらいの別嬪さん。
我が家の女性陣の寵愛を一身に受けているため、本来なら3月3日でなおされるはずのところ、
「旧暦の3月3日まで」という我が家ルールができ、毎年4月3日まで飾られるようになったのです。
「なのに。今年はもう4月の3日すら過ぎちゃった!
これ以上、あんたの婚期遅らせられんのに!
ホントごめんね・・・。婚期、また遅れちゃうね。」
と悲愴な面持ちのまま、謝り続ける母上様。
・・・えっと。
その変な罪悪感、まったくもって無用なんですけどー。
わたしもそこに責任感とか罪悪感とか求めてないっていうか
そこはいちおー最近はやりの「自己責任」なるものを受け入れてるんですけどー。
と、母上にもごもごと回答したのでした。
・・・なんだ?このやりとり。
お雛様もね、ものすごい寵愛受け続けてるっていうのに、
その割に、私の婚期についての責任は問われるなんて、かわいそうにも程があるっていうか。
古くからの言い伝えってすごいな、無意識のうちに刷り込まれてるもんだな、
人の思考に大きな影響を残してるもんだな、と思ったのでした。
それにしてもお雛様が不憫すぎる。
私はお雛様のせいになんかしてないからねー、と言い聞かせながら、
来年までのしばしの別れを惜しみ、親戚宅へ旅立ったのでした。