
今日の木炭デッサンの石膏像はカラカラ帝です。
カラカラ帝は知らなくても,イタリア、FIFAワールドカップ優勝決定戦、前夜に三大テノールコンサート
が行われたことを、覚えてらしゃるかたもいるでしょう。
その会場となったのがカラカラ浴場です。
カラカラ浴場といっても,225mの長さ,185mの幅、高さ38.5mという大きさは見当が付きません。
浴場が2000から3000室あったといえば見当が付きます。
私が昔行った時は、浴場というよりむしろ、闘牛場か、大きさは野球場のように感じました。
当時はタイルの床が浴場であったことがしのばれるだけでした。
古い写真ですがタイル模様が分かるでしょうか?

カラカラ浴場を造ったのは、カラカラ帝《212~217》です。
本当はモットながーい名前なのですが、彼の着ていた外套からこういう名前が付いたそうです。
政治家としては凡庸だったらしいのですが、軍人としては人気があったそうです。
彼の業績は三つ。
1、銀貨の改鋳
2、アントンヌス《彼の名》勅令、ローマ市民権を帝国領内すべての自由人にあたえた。
3、カラカラ浴場を造った。
石膏像からもワイルドな感じで、軍人として人気があったというのも分かります。
弟と帝位を争い、だまして母親の前で殺した為に、
不人気が高じ口封じの為に2万人の自由人を殺したとか。
彼の最後はやはり暗殺でした。
そんなエピソードの持ち主です。
