今日は8月15日
親類と打ち合わせて、墓参りに出かけました。
お墓は岐阜のいまは大垣市、田園地帯の広がるまんなかにあります。
何か時の流れが止まったような、いついってもほとんど変りのない元の名は墨俣町。
両親が、老後ににたまたま住んだだけで、私は住んだことがありません、
人口約5000人の日本一小さな町で、3000人が老人であったとか。平成の大合併で大垣市と合併しました
元、町の地域から、市議会議員を出せるかどうかというくらいだそうです。
でも、広がる水田は、何時も同じに見えて、とてものんびりとして、いま眺めるとなんとなくほっとします。

鵜飼で有名な長良川、の下流です。

父の晩年、一年に一度中国旅行をしました。
彼もまた戦争で人生が狂った一人です。日本ではほとんど戦争のコトを語りませんでした。
中国旅行中は、とわず語りでぽつぽつと戦争体験を話してくれました。
「本当に理想の国を日本人が作るんだと信じて、希望に燃えていて蒙古政府にいた。」と語りました。
北京から、何時間も汽車で行ったところの、蒙古政府の要人あったようです。
中国旅行の時、そこへいく電車を見て「哀しくて、」となみだをこぼしていました。
癌で手遅れと分かってからも(本人は告知してありませんでしたが)、
比較的元気で旅行は続きました。
最後の年に、中国の天津に自分の子供と妻を葬ったお寺に行く予定だったのですが、、
天津で、戦争の記念館に案内され、昔の娼婦街だった歓楽街に案内され、
少し様子がおかしくなり
<もういいんや、悲しすぎる>と、いくら勧めても行こうとしませんでした。
NHKの「戦争証言アーカイブス」で従軍経験を語る映像が流れています。
ニューギニアの名古屋の部隊の方のお話などを見ました。
ニューギニアは食料がなく薬も勿論ないという悲惨な戦場だったと、敵が死ぬと引きずってきて焼いて食べたと、、
「何であんなことができたのだろう」と、つぶやく人、其々の人が語る話にはいろいろなおもいがあります。
舞台になった李香蘭の話、
父は本も読み、はき捨てるように「うそばっかり、」、、、内情を知る人としては、それ以上は言えないようでした。
小説「大地の子」は「ヨー調べたるなあ、あの通りや、かなしいて、みてられん!」といっていました。
どういう形にせよ戦争を語り継ぎ、どんなに戦争は人を傷つけ続けるかということをかたりつがなくてはいけないとおもいます。先日も「たかじんのそこまでやっていいんかい」という番組で、日本は国としておかしい。
国の基本は外交と軍事力だ。と桜井よしこさんがいい、多くの人が賛成していました。
軍事力を持たない国は国として無力だと、
わたしは、戦争のための軍事力を持たない、戦争をしなかったこの60年は一般の人々をどれくらい幸せにしてくれたかと思うのです。でもそれはアメリカの傘の下にいたからだと、、
北朝鮮が核を持ち、中国が膨大に軍事力を充実してきている。日本はこのままでいいのか、アメリカは日本を跳び越して中国と有効関係を結ぼうとしている。
日本は台湾のようにみすてられる、、、
戦争で戦い傷つき、いまなおココロのきずを引きずっている人たちの証言を聞いても、このような論理がまかりとおるのでしょうか、、
帰りに長良川の鵜飼をする少し下流から上がる花火でしょう、遠くに見えました。

何時も父と枝豆とビールを手に楽しみで眺めました。
今日は終戦記念日で、お盆です。こういう平和な日が続いてほしいです。
親類と打ち合わせて、墓参りに出かけました。
お墓は岐阜のいまは大垣市、田園地帯の広がるまんなかにあります。
何か時の流れが止まったような、いついってもほとんど変りのない元の名は墨俣町。
両親が、老後ににたまたま住んだだけで、私は住んだことがありません、
人口約5000人の日本一小さな町で、3000人が老人であったとか。平成の大合併で大垣市と合併しました
元、町の地域から、市議会議員を出せるかどうかというくらいだそうです。
でも、広がる水田は、何時も同じに見えて、とてものんびりとして、いま眺めるとなんとなくほっとします。

鵜飼で有名な長良川、の下流です。

父の晩年、一年に一度中国旅行をしました。
彼もまた戦争で人生が狂った一人です。日本ではほとんど戦争のコトを語りませんでした。
中国旅行中は、とわず語りでぽつぽつと戦争体験を話してくれました。
「本当に理想の国を日本人が作るんだと信じて、希望に燃えていて蒙古政府にいた。」と語りました。
北京から、何時間も汽車で行ったところの、蒙古政府の要人あったようです。
中国旅行の時、そこへいく電車を見て「哀しくて、」となみだをこぼしていました。
癌で手遅れと分かってからも(本人は告知してありませんでしたが)、
比較的元気で旅行は続きました。
最後の年に、中国の天津に自分の子供と妻を葬ったお寺に行く予定だったのですが、、
天津で、戦争の記念館に案内され、昔の娼婦街だった歓楽街に案内され、
少し様子がおかしくなり
<もういいんや、悲しすぎる>と、いくら勧めても行こうとしませんでした。
NHKの「戦争証言アーカイブス」で従軍経験を語る映像が流れています。
ニューギニアの名古屋の部隊の方のお話などを見ました。
ニューギニアは食料がなく薬も勿論ないという悲惨な戦場だったと、敵が死ぬと引きずってきて焼いて食べたと、、
「何であんなことができたのだろう」と、つぶやく人、其々の人が語る話にはいろいろなおもいがあります。
舞台になった李香蘭の話、
父は本も読み、はき捨てるように「うそばっかり、」、、、内情を知る人としては、それ以上は言えないようでした。
小説「大地の子」は「ヨー調べたるなあ、あの通りや、かなしいて、みてられん!」といっていました。
どういう形にせよ戦争を語り継ぎ、どんなに戦争は人を傷つけ続けるかということをかたりつがなくてはいけないとおもいます。先日も「たかじんのそこまでやっていいんかい」という番組で、日本は国としておかしい。
国の基本は外交と軍事力だ。と桜井よしこさんがいい、多くの人が賛成していました。
軍事力を持たない国は国として無力だと、
わたしは、戦争のための軍事力を持たない、戦争をしなかったこの60年は一般の人々をどれくらい幸せにしてくれたかと思うのです。でもそれはアメリカの傘の下にいたからだと、、
北朝鮮が核を持ち、中国が膨大に軍事力を充実してきている。日本はこのままでいいのか、アメリカは日本を跳び越して中国と有効関係を結ぼうとしている。
日本は台湾のようにみすてられる、、、
戦争で戦い傷つき、いまなおココロのきずを引きずっている人たちの証言を聞いても、このような論理がまかりとおるのでしょうか、、
帰りに長良川の鵜飼をする少し下流から上がる花火でしょう、遠くに見えました。

何時も父と枝豆とビールを手に楽しみで眺めました。
今日は終戦記念日で、お盆です。こういう平和な日が続いてほしいです。