たまたま、家族からいい本だよといわれて読んでみました。

内容は、お察しがつくように昭和20年3月1日に翼賛選挙訴訟の判決、
この選挙を無効と判決を下した「吉田 久」 大審院第三民事部の裁判長についての
人となりやら其の裁判についてのかかれたものです。
サブタイトルは東条英機と戦ったとなっていますが、彼の人となりや生活などから判断して、
純粋に裁判官として判決に望んだと思われます。
ー不法選挙運動は、組織的かつ全般的に行われた。ー推薦候補者の当選を期する為の選挙運動をなすことは憲法および選挙法の精神に照らし、大いに疑の存する所
<判決分の一部です。>
同じ鹿児島でのもう一つの選挙区とまったく反対の判決がでた。
判決は戦争中も議会政治を維持しようと苦闘していた人々から高く賞賛された。
現実に無効とされた鹿児島ニ区では戦争末期にもかかわらず、衆議院選挙がやり直されている。
言い渡しの数か4日後あたかも追われる様に職を去る。判決の原本はまもなく行方不明になる。
日本が戦争に勝つために、国民がイッチ団結をしなくてはいけない。そのために大政翼賛会という戦争協力の団体を作り議会は其の貝の推薦者当選しないようないろいろな妨害が国権ぐるみで行われた。
協力しないと、非国民、赤、と命の危険もあった時代のコト
この裁判官がこの判決を出すことができたいきさつ、幻とされた判決原本のいくえなどがこの本に書かれていました。
<この本の目次>
<この本の目次>
第1章 「こんな選挙が、許せるか!」(シャンデリアの「伝説」;反対の声の出ない議会;妨害と干渉の翼賛選挙;怒りの提訴;異例の裁判官会議;たたきあげの裁判官)
第2章 「わたしは、死んでもいい」(東條の傲岸な答弁;死を覚悟した鹿児島出張;炙り出された圧力;顔のみえる判例;強くなる風当たり;東條演説事件;崩壊する戦争末期の司法)
第3章 「選挙ハ之ヲ無効トス」(昭和二十年三月一日、判決;辞職、そして大審院全焼;鳩山一郎;吉田茂からの要請;消えた判決原本;戦火を生き延びた「信頼」の証)
この本の作者、清水 聡さんはNHK記者であり、平成17年に司法クラブで最高裁を担当していた折に判決の原文の存在を知り、翌年のニュースのなかで放送をした。
さらにおよそ3年かけて関係者の遺族を探して話を聞き、
可能な範囲で当時の文献も読みいろいろな関係者や研究者の方の協力を得てかきあげたという。
やはり戦時中、組織としての裁判所は司法の独立を完全に失っていたといわざるを得ない。
しかし取材をしていて、
<この作者が感じたのは >
一般の裁判官はズバぬけて頭がいい。反面社会や世間に対する適度な距離を持つ能力に乏しく、
結果として狭い世界に没頭しがちである
国民からは生の姿が見えにくい、一方、わずか一文で人を社会的に抹殺し、或いは実際の命までも奪いうる強力な権限を有する。
其の閉鎖性が批判を受ける源であったりするが、雑音と感じる外部の言葉に耳をふさぐことは職業的な本能というべきであろう。
そういう行き方で戦時中を生きた消極的良識派というべき代表の裁判官が吉田久だったのかもしれないと思うようになったという。
それで、吉田久さんが翼賛会選挙訴訟振り返って、さらりと当たり前のコトとしてイカのように述べている。
「私は、この判決をするにもいささかの政治理念に左右されなかった。もし判決が時の政治理念を支えてなされたとするならば、其の判決は不順であり、死んでいると考える」
作者の清水さんは、この言葉が当たり前のあり続ける司法であることを強く望んでいると結んでいます。
戦争というのは大きなエネルギーで良識を奪うものである。
大政翼賛会、軍部の横暴一個人ではとめられない。よく其のあたりをしらべ、
描き出していると思いました。
そして、吉田さんを支えた言葉、
司法を志す人たちに脈々と語り継がれていた権力からの独立の司法の理念
こういうものと裁判員制度はどう絡み合うのかな~と思ってしまいます。
わたしはこの本を二つの観点から読み解くことができます。
一つは、戦争下の国家権力の横暴を知ること。
二つ目、、裁判官ということ
答えは自分でかんがえて出すものです。
8月16日テレビ番組にもなりました。

詳しくはこちらで。
http://pid.nhk.or.jp/netstera/specials/specials_1/

内容は、お察しがつくように昭和20年3月1日に翼賛選挙訴訟の判決、
この選挙を無効と判決を下した「吉田 久」 大審院第三民事部の裁判長についての
人となりやら其の裁判についてのかかれたものです。
サブタイトルは東条英機と戦ったとなっていますが、彼の人となりや生活などから判断して、
純粋に裁判官として判決に望んだと思われます。
ー不法選挙運動は、組織的かつ全般的に行われた。ー推薦候補者の当選を期する為の選挙運動をなすことは憲法および選挙法の精神に照らし、大いに疑の存する所
<判決分の一部です。>
同じ鹿児島でのもう一つの選挙区とまったく反対の判決がでた。
判決は戦争中も議会政治を維持しようと苦闘していた人々から高く賞賛された。
現実に無効とされた鹿児島ニ区では戦争末期にもかかわらず、衆議院選挙がやり直されている。
言い渡しの数か4日後あたかも追われる様に職を去る。判決の原本はまもなく行方不明になる。
日本が戦争に勝つために、国民がイッチ団結をしなくてはいけない。そのために大政翼賛会という戦争協力の団体を作り議会は其の貝の推薦者当選しないようないろいろな妨害が国権ぐるみで行われた。
協力しないと、非国民、赤、と命の危険もあった時代のコト
この裁判官がこの判決を出すことができたいきさつ、幻とされた判決原本のいくえなどがこの本に書かれていました。
<この本の目次>
<この本の目次>
第1章 「こんな選挙が、許せるか!」(シャンデリアの「伝説」;反対の声の出ない議会;妨害と干渉の翼賛選挙;怒りの提訴;異例の裁判官会議;たたきあげの裁判官)
第2章 「わたしは、死んでもいい」(東條の傲岸な答弁;死を覚悟した鹿児島出張;炙り出された圧力;顔のみえる判例;強くなる風当たり;東條演説事件;崩壊する戦争末期の司法)
第3章 「選挙ハ之ヲ無効トス」(昭和二十年三月一日、判決;辞職、そして大審院全焼;鳩山一郎;吉田茂からの要請;消えた判決原本;戦火を生き延びた「信頼」の証)
この本の作者、清水 聡さんはNHK記者であり、平成17年に司法クラブで最高裁を担当していた折に判決の原文の存在を知り、翌年のニュースのなかで放送をした。
さらにおよそ3年かけて関係者の遺族を探して話を聞き、
可能な範囲で当時の文献も読みいろいろな関係者や研究者の方の協力を得てかきあげたという。
やはり戦時中、組織としての裁判所は司法の独立を完全に失っていたといわざるを得ない。
しかし取材をしていて、
<この作者が感じたのは >
一般の裁判官はズバぬけて頭がいい。反面社会や世間に対する適度な距離を持つ能力に乏しく、
結果として狭い世界に没頭しがちである
国民からは生の姿が見えにくい、一方、わずか一文で人を社会的に抹殺し、或いは実際の命までも奪いうる強力な権限を有する。
其の閉鎖性が批判を受ける源であったりするが、雑音と感じる外部の言葉に耳をふさぐことは職業的な本能というべきであろう。
そういう行き方で戦時中を生きた消極的良識派というべき代表の裁判官が吉田久だったのかもしれないと思うようになったという。
それで、吉田久さんが翼賛会選挙訴訟振り返って、さらりと当たり前のコトとしてイカのように述べている。
「私は、この判決をするにもいささかの政治理念に左右されなかった。もし判決が時の政治理念を支えてなされたとするならば、其の判決は不順であり、死んでいると考える」
作者の清水さんは、この言葉が当たり前のあり続ける司法であることを強く望んでいると結んでいます。
戦争というのは大きなエネルギーで良識を奪うものである。
大政翼賛会、軍部の横暴一個人ではとめられない。よく其のあたりをしらべ、
描き出していると思いました。
そして、吉田さんを支えた言葉、
司法を志す人たちに脈々と語り継がれていた権力からの独立の司法の理念
こういうものと裁判員制度はどう絡み合うのかな~と思ってしまいます。
わたしはこの本を二つの観点から読み解くことができます。
一つは、戦争下の国家権力の横暴を知ること。
二つ目、、裁判官ということ
答えは自分でかんがえて出すものです。
8月16日テレビ番組にもなりました。

詳しくはこちらで。
http://pid.nhk.or.jp/netstera/specials/specials_1/