( 日本の藤の花。 昔亀戸天神近くに住んでいた頃 小紫の藤の花が境内の庭に咲いていました。)
埼玉で 軽症のコロナ感染者が孤独に亡くなったというニュースがありました。軽症なら自宅待機は政府の
方針である。突然悪化して 父親が連絡しても通じず 来てみたら亡くなっていたという。現代の悲劇だ。
何故悪化したか 詳しいことを知らないが 独り暮しで 軽症で自宅待機と言われれば それ以上のことは
出来なかったに違いない。それにしても 短期間に急変し 亡くなるというこのウイルスの恐さを思う。
ウイルスの根絶はほぼ不可能 それ故長い目で見て ウイルスと共存 共生せざるを得ない そんな記事が
しばしば出ていて 私も 生態系という観点から 時に争っても 解決は共存しかないなーと思っています。
4月22日の新聞で 私が時々紹介させて頂く 『 生命誌研究者 中村桂子さん 』の投稿があった。
その中で 『 私たちはウイルスが存在する自然と向き合って生きているのだ。』とあった。私もこの意見に
賛成だ。自然とは地球のことであり 私たち人類は今77億人が地球に住んでいる。そこで空気を吸い
食料を得て生きている。ここ2000年ほどで40倍近く増加して生きている。幾ら大きい地球でも これだけ
増え 生活の場を広げ 他の生き物を追い出しては地球を壊しては問題が起こる。他の生物も必死の生存競争
をして生きて来ている。生物とは言えないウイルスでもその数を増やす為に 宿主を求め 数を増やし続けて
いる。ウイルス感染とは彼らの増殖のこと。彼らも生きるのに必死であり 私たちも生きるためにウイルス
撲滅を今必死に模索している。コロナを悪魔のように言うが それは人間の側からの考えだ。この生存競争を
認識した上で 私たちはどう生きるべきか 賢いホモサピエンスとして よく考えるべきだ。
猛烈に消毒薬を使っているが これが他の生き物も殺していることを一応頭に入れておくべきだ。限られた
地球という世界に生き 生存競争をしているということは 私たちは地球という自然以外では生きられない
ということ 他の生き物 資源を利用する以上 逆に他の生き物にも利用されるということ。人間は今支配者
然としているが 永遠にそうではなく 地球の片隅に小さく生きたこともあったし これからもあるという
こと 私たち人類は 自分の果たす地球での役割を考えながら生きることが 必要だということである。
何故去年には想定もしなかったコロナ危機(騒ぎ)に今巻き込まれているのか ? 3・11東日本大震災も
熊本の地震 大阪・淡路の震災も 毎年生じる台風。豪雨の被害も 自然の働きで有り 私たちはそれを
受け容れながら地球とつながり 恵みを貰いながら 試練に遭いながら生きていくのだ・・ということです。
結局今できることは 外出自粛(家に籠もる)と手洗いという初歩的 原始的な方法しかない。高度に科学が
発展したとはいえ ウイルス1種の活動でこんなにも手ひどい状況に陥っているということ。新聞の見出しに
色々な言葉が並んでいる。 『 重度障害者 生きていけない 』 『 感染警戒 訪問介護中止 』
『 大恐慌の苦難よぎる 世界経済に重し 』『 給付金 もう待てない。』 『 中小や個人 収入減
悲鳴 』 『 無症患者 検査受けられず。』 『 外出 生きる為に最小限に 』 首都厳戒という
2.26事件や戦時のような表現もあった。この3ヶ月のウイルス危機で 人間の賢さも愚かさも見た。でもまだ
救いがあると信じたい。同時にコロナ以後 人類が改めるべき課題も見えつつある。最近ご無沙汰している
温暖化問題 実は中村先生の話で 共通の根っこだということ 自然を大切に 地球上の生き物と共存
共生しよう ということが分かります。 家の中に居て 時間がたっぷりある今 未来の準備をしたいなー
と思う。行動を変えよう。考え方を変えよう。生き方を変えよう ! どういう風に? 皆で考えよう !!
4月の半ばから 桜の花が終わった頃に咲きます。長野 秋田は今桜が花盛り 地域の差を感じます。
藤の花は 日本の誇るべき 日本原産。幹の方から徐々に先の方へ咲いていきます。
藤の花はマメ科です。豆の花が連なっています。沢山の花が付いています。
藤の花は 山藤など自然のものは別ですが 棚の上に蔓(つる)で伸びていきます。
蔓はとても強く 昔はロープ代わりに使ったそうです。
幹の方から 花が咲くので 先っぽはまだつぼみです。
これは山藤です。 自然の藤の花で 山の中にさいていますね。この時期 花が咲くので分かります。
もう若緑の葉が勢いよく付いています。
『 藤波の花は盛りになりにけり 平城(なら)の都を思ほすや君 』 万葉集から
白い藤の花もあります。
自動車教習所に咲いていた藤の花。 白と紫が合わさって咲いていました。