
永這からは山の道をクネクネと南下します。
東風泊が見え始める手前に、バスの待合所とそこから左に入る道が見えてきました。

この坂道を海岸の方へと下がっていくと、切り通しの様に、周囲の木々でトンネル状態になった、額縁の向こうに、桃源郷ならぬ椿源郷と言うか、椿原の部落が広がっていました。

今降りてきた一本の道だけで外の世界に繫がっている椿原地区も、多い時は200人近く住んでいましたが、今は20戸30人位。

小さな港になった海岸のそばに、
第83番霊場椿原海岸降り口付近のゴミ箱は風雪に耐えて鎮座していました。

壇ノ浦で敗れた平家の残党 平修盛公 が1186年7月、この椿原海岸に漂着。
海岸に一人住んでいた村娘 小泰 と夫婦になり、磯で鮑・さざえ・伊勢海老を採り、沖で鯛・鯵・かますを釣ってかろうじて?飢えをしのぎ、上陸時鎧の袖からこぼれ落ちた椿の実が育った後は、その油を生活の糧にしたと言う、椿原地区の伝説が今・・・、作りました。
返事
花水木さん:時を数えて咲く、彼岸花。
ばあちゃんも、TVの知識とはいえ、やりますね!
やまももさん:私は、結局綺麗に咲かないまま茶色く枯れていってます。