島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

帰郷の旅4:津和野

2016-05-14 | 
 
 
 関門国道トンネルを抜けて本州に入った後は、山陽自動車道に乗って東に向かいます。
 高速道路SAのトイレ、島への往復で利用するたびに、色々新しくなってきています。
 今回の小便器は、写真のごとく、小便を終わって便器の上に手をかざすと、その場で手が洗えて、しかもその水が下の便器を洗い流すというエコ小便器らしいですが、やや策に溺れた感じがありますね…。
 
 子供の絵本や暮らしの手帖でよく見慣れている安野光雅(アンノミツマサ)さん、家にも数冊ありますが、津和野生まれです。
 
 津和野で安野光雅美術館を見つけたので、寄ってみました。
皇居の花を描いた優しい絵ばかりの作品を展示中で、いつもなじんでいたちょっと不思議な絵はありませんでしたが、ミュージアムショップで孫の誕生日用と自分用にも、なじんだ絵の本を家内は購入。
 絵を書く時のおまじないとして、「わたしは下手、まだこども」、と唱えると効果があると、安野さんは書いていました。
 仕事には使えませんが、ブログを書く時には使えそうですね。
 
 津和野駅近くの線路を渡り、永明寺までは歩いて5分ほど。
立派な茅葺きの本堂です。
 
 この寺の墓地に、津和野で生まれた森鴎外の墓があります(東京にもあるそうです)。
代々津和野藩のご典医だった森家の墓地の中に、確かに森林太郎墓とだけ刻まれた墓がありましたが、もっと小さな墓石と勝手に思い込んでいたのに、意外と大きかったです。
 
 明治の禁教令によって長崎浦上から連れてこられた隠れキリシタン153名が、ここに収容され、拷問などで改宗を迫られた所。
ここに私の生まれた年に建てられた記念聖堂が、この乙女峠のマリア聖堂。
急な山道を上がりましたが、意外に早く行けました。
 結局津和野はこれだけで、昼の蕎麦を食べて、いわゆる津和野の鯉のいる風景は見ずに(以前見たか?)出発。

       返事
花水木さん:昔は大福10個単位で売っていたので、
    それを一人で食べてはいました。
     バナナマンのモデルはあるのですかね?
大雪男さん:外食では最後デザートワゴンサービスありますが、
    卑しいことに、小さいこともあるので、最低4種類ぐらいは選んでいます。
コメント (3)
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