島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

10≠Q倭彦命

2017-05-27 | 天皇陵巡り
 
 自転車で第10代までの天皇陵を巡っている時、橿原神宮前駅から西の方に、少し時代の飛んだ第28代宣化天皇陵の道標がありました。
その向こうには橿原高校の道標も見えますが、この宣化天皇陵の裏側にももう一つ陵があるようなので、ついでに行ってきました。
  
 橿原高校の裏門辺りに古墳らしき山がありましたが、どこから入って良いのか判りません。
  
 前方後円墳の中央のくびれの部分を横切るように、農家の人たちが通れるような感じで道がついていました。
 実はこの前方後円墳(桝山古墳(マスヤマコフン))は、日本最大規模(一辺90ⅿ・高さ15m)の方墳に、明治時代に前方部をくっつけたようなので、宮内庁管轄にしては堂々とその中を通れる道があるようです。
  
 狭い周囲の道を廻って、なんとか前方部の拝所に行きつきました。
第10代崇神天皇皇子倭彦命(ヤマトヒコノミコト)の身狭桃花坂墓(ムサノツキサカノハカ)です。
 陵と名が付くのは、例外はありますが天皇・皇后だけで、その他の皇族は墓です。
   
 倭彦命は第10代崇神天皇の皇子ですので、第11代垂仁天皇の同母弟になります。
 倭彦命が亡くなった時、近習のものは墓の周りに生き埋めにされる風習がありましたが、生き埋めにされた者が死なずに、そのうめき声が周囲に響いたり、死後は腐肉に犬や鳥が集るという惨さを見た垂仁天皇は、殉死の禁止令を出したそうです。
 
 ぐるっと後円部(元々の方墳の方)を廻って無事帰りました。
本当ならこの辺りは生き埋めにされた霊が飛び交ってるはずなのですが、実はこの桝山古墳は5世紀前半に築かれたそうですので、倭彦命の墓であるはずがないのです。
 私の天皇陵巡り、天皇陵は必ず廻るようにして、出来れば皇后や天皇になれなかった兄弟などの陵や墓も巡って、数を稼ぎたいと思っています。

      返事
花水木さん:私もスーパーでは家内のかごについて、
    時々お菓子やジュースをそっとかごに入れていますが、
    スーパーはそれほど嫌いではありません。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする