島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

紅葉狩り1

2019-11-20 | 
 
 あっという間に寒くなって、紅葉もそろそろ見頃になった先週金曜日。
まずは近くの宝ヶ池周囲を孫Ⅲ-1と三人で散歩。
遠くの比叡山もそろそろ秋色になってきました。
 
 天気はあまり良くなく、北は雨が降るかもの予想があった土曜日。
蟹を食べるために、朝早くから北陸に向かいました。
 途中通過する湖北のマキノ近くにある「もみじ池」が、紅葉の穴場で綺麗と聞いたので、寄ってみました。
到着したのは8時前、さすがに穴場、人っ子一人いない穴場でした。
 
 池に映る紅葉と、用途不明の朽ちた木橋が、なかなか良い雰囲気を作り上げています。
朝早いせいか、曇ってるせいか、やや寂しい感じで、やはり紅葉は太陽が当たってなんぼですよね。
 
 越前海岸に着いたのが、昼ご飯には早すぎたので、ゆっくりと「北前船主の館・右近家」を見学しました。(500円)
 右近家は江戸時代の北前船主として繁栄しましたが、北前船の衰退と共に蒸気船を購入し、新たな海運業者としても繁栄し続け、その後は海上保険業に進出し、日本海上保険株式会社を設立しています。
このためずっと金持ちで居続けられ、明治34年に建て替えられたこの大きな屋敷を、今も維持し続けられてるようです。
 
 屋敷の背後に昭和初期に作られた山小屋風の西洋館、この建設にあたって、近在の村の男女1万人ほどが動員されたそうです。
でも館の案内人に尋ねると、これは村の貧しい人たちを助けるために、寄付とか施しではなく、賃金という形で村に還元する目的で、この西洋館を建てたそうで、損保ジャパン日本興和の創業者はなかなか偉い人ですね。 
 
 西洋館のテラスから、大金持ちのように日本海を眺めます。
海が見える景色は、庶民でも良い気持ちになります!
 
 西洋館のさらに上には、展望台や展示館もあって、庭園の紅葉越しにも日本海が見えます。
 展示館に、戦後生まれですが、小学校のころまでは軍神好きの私が憶えていた、「杉野はいずこ」で有名な広瀬中佐の資料が飾ってありました。
右近家と広瀬中佐はどこで繋がってるのかと思いましたが、日露戦争の旅順港閉塞作戦で広瀬中佐が港の入り口にわざと沈めた船が、右近家旧所有の福井丸だったからでした。
 
 その後前回報告の越前ガニをたらふく食べて、越前大野城に向かいました。
到着の頃には雨がけっこう降ってきていて、お城に登る気にはなれませんでした。
大野までは3回以上は来てるのに、まだ越前大野城には登城してません。
名物の越前そばも醤油カツ丼も入る余裕はなく、別腹のジェラードを食べて、麓の駐車場の紅葉越しに雨に煙る天守を眺めただけで帰途につきました。

      返事
じょんのびかあさんさん:旦那さんのブログはチェックしてますよ。
     若狭のトラフグも食べたくなりました。
花水木さん:私も1分でも行列は並ぶの嫌いでしたが、
    島に行って、船をゆっくり待つ習慣が付いてからは、
    少しは並べる人間になっています。
     私の趣味はずっと家内ですが、
    家内の趣味が最近は私でないのが、少々気がかりです。

コメント (2)
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