島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

吉野へ2.苧ム院

2021-07-02 | 
 
 観心寺から吉野までは予想以上に近く、昼頃には着きました。
先ずは天婦羅と葛うどんを二人で分けて、私のメインランチは写真の葛しること葛もちです。
さすが吉野葛で有名な本場の葛しるこ、初めてこんなお汁粉を食べましたが、美味しい上に腹一杯になりました。
 
 金峯山寺蔵王堂(キンプセンジザオウドウ)は国宝で、奈良の東大寺大仏殿に次ぐ木造大建造物ですが、こんな山の上に建てるのは大仏殿より大変だったでしょうね。
 
 蔵王堂正面に、玉垣で囲まれ4本の桜が植えてある大塔宮御陣地跡、ここで北条幕府の大軍に囲まれた後醍醐天皇第2皇子護良親王(モリナガ)が、最後に皆で酒宴を開いた所らしいです。
 
 二天門跡には、村上義光公忠死之所の碑が立ってました。
酒宴の後に、義光は大塔宮護良親王の鎧兜を身に付け、その身代わりとして腹かき切って最期を遂げたので、その間に護良親王は高野山に落ちのびることが出来たそうです。
 
 ここで敗れ去った南朝方の涙雨か、雨が強く降ってきたので、急いで宿に戻ろうとしたのですが、途中こじゃれた喫茶店で雨宿り。
コーヒに付いていた左の角砂糖のような葛の干菓子、これが干菓子とは思えないくらい美味しかったので、思わずお土産に買ってしまいました。
 
 吉野で泊まったのは、宿坊のような旅館「苧ム院群芳園、大きい旅館でしたがその日はたったの3組4人だけで、男は私一人だけで、他の2組はおばさんの一人旅とのこと。
 
 苧ム院内の庭園群芳園(グンポウエン)は、大和三庭園の一つに数えられています。
豊太閤の吉野山観桜(1594年)の際、千利休がそれまであった物に手を加えて、今の桃山風庭園にしたそうです。
 
 食事も風呂も我々だけの貸し切りのような感じで、食事は明治の重鎮たちが会議したような部屋で、鰍ッ軸の龍に見守られながら、ゆっくり静かに食べられました。
 宿泊場所は空いてるのが一番ですね。

返事
Toitenlabeeさん:さすが!もう食べてるんですね。
    ここの生クリームは、カロリー少ない上等の砂糖を使ってるので、
    罪悪感なしに食べられると、TV は伝えてましたよ。
     私は「明智小五郎と少年探偵団」で育ってます。
 

コメント
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