島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

63-5冷泉天皇皇子敦道親王

2020-05-29 | 天皇陵巡り
 
 第63代冷泉天皇が譲位した後ですが、第4皇子として生まれたのが敦道親王(アツミチシンノウ)(981~1007)です。
母は藤原兼家の娘超子なので、第67代三条天皇の同母弟になりますし、第65代花山天皇の異母弟でもあります。
 
 敦道親王の最初の妃は、母超子の同母兄関白道隆(953~995)の三女でしたが、道隆の死後は別れています。
その後藤原忠平の五男師尹(モロタカ)の次男藤原済時(ナリトキ)(941~995)の娘(兄の三条天皇皇后娍子(セイシ)の妹)が、正妃になりました。
 宇治陵はこの総拝所以外に36号の陵があるためか、宮内庁書陵部 桃山陵墓監区 宇治部事務所の小屋もあり、常駐されているようです。
 
 同母兄である為尊親王(タメタカ)(977~1002)の死後約1年で、死んだ兄の恋人だった和泉式部と恋愛関係になったので、その正妃も怒って離婚されています。
 やや軽薄な正確だったようですが、外祖父兼家には愛されたようで、若くして亡くなりましたが、その為かこの宇治陵に葬られ、制札最後から2番目に冷泉天皇皇子敦道親王墓と記されていました。
 
 和泉式部との間に男の子を一人もうけていますが、こちらも恋多き女性和泉式部、他の父親(橘道貞(タチバナノミチサダ))との間の娘、とんちで勝ったこの歌の小式部内侍の方が有名ですね。

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1 コメント

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Unknown (花水木)
2020-05-29 20:01:17
午後、前回の超子はなんて読むのかしら・・・あ、ちょうし?なんて思っていたら、また多動のばあさまがトイレに行ったので、中断していたら、又又更新。


コメント入れる時間も無し。
老々介護は辛いです。

代々のお歴々の方々の名前ですが、誰が命名するんでしょうか?
ルビふっても、訳わからない名前多いです。
名前は、そのまま素直に読めるのが良いそうですよ。
名前って大事です。一生を左右しますから。
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