1879年(明治12年)、第122代明治天皇(1852~1912)(在位1867~1912)の第3皇子(他の皇子は夭折)として産まれた嘉仁親王(ヨシヒトシンノウ)の母は、側室の柳原愛子(ヤナギハラナルコ)(1855~1943)です。
天皇陵巡り初めての関東遠征です、東京の中心からは結構遠い多摩地方でした
明治20年、9歳で儲君治定を受け明治天皇皇后一条美子(ハルコ)(1849~1914)(後の昭憲皇太后)の実子となり、2年後に立太子した嘉仁親王ですが、生後すぐに大病を患ったりしたので、心身の発達は思うにまかせませんでした。
多摩陵(タマノミササギ)(東京都八王子市長房町)正面、上円下方の形であることががよくわかります
明治33年22歳の嘉仁親王は、九条道孝(ミチタカ)の娘17歳の節子(サダコ)(1884~1951)と結婚、この御世からは一夫一婦制となりました。
翌年には昭和天皇になる裕仁親王(ヒロヒト)(1901~1989)が誕生しています。
数年前の平日だったせいもあって、この陵周囲にはあまり人影は有りませんでした
明治45年(1912年)に崩御した明治天皇の跡を継いで、嘉仁親王は第123代大正天皇(タイショウ)(1879~1926)(在位1912~1926)として皇位に就きましたが、歩行障害もあって議会にもなかなか出られず、言語障害の為勅語を朗読することも困難であったようです。
陵印は夫婦一緒です
1920年(大正9年)には、大正天皇の病状が重いことが発表され、皇太子裕仁親王を摂政として、天皇は療養生活に入りました。
大正15年47歳で亡くなった天皇は、多摩陵に葬られましたが、私ぐらい大正天皇が生きていれば、私は大正生まれになっていたんですがね。
遠路お疲れ様でした。
大正天皇となると、ぐっと身近な存在。
家のお姑様も大正10年生まれです。
さて、いよいよ昭和天皇ですね。
私の両親は二人共大正生まれです。
大正皇后の後に昭和で終わります、次が心配ですが。