地図左端の青○、車石の展示してあった広場からすぐに右手、青線に沿って旧東海道が残されていますので、赤破線の現代の東海道三条通から離れて進みます。
小川さんの地図は分かりやすいですね。
分かれ道から旧東海道に入ると、まだ新しい旧東海道の石柱と案内板(旧東海道日ノ岡の峠道)が立っていました。
木食正禅上人(モクジキショウゼンショウニン)が1734(享保19)年から1738(元文3)年にかけて、深くえぐられた峠の車道に土砂を入れて段差をなくしたり、峠の頂上を掘り下げて緩やかな勾配にするなど、改善工事をされたようです。
大きな民家の軒先に、山科牧畜場牛乳搾取所 明治24年認可 京都府宇治郡山科町日岡 などが書かれた看板を見つけました。
こんな所で明治には乳牛が飼われていたのですね。
横の牛乳瓶入れには、母校の京都府立大学病院御用達と書かれていましたので、何となく嬉しかったですが、ここで飼われていた乳牛から搾った牛乳は、実際は東福寺にある京都第1日赤病院に主に納入されていたようです。
少し家は建っていますが、今でも車のすれ違いがぎりぎりぐらいの旧東海道らしい道が、この辺りは続いています。
なんか、箔が付いた様な。
今は、こんな事言うと、いちいち煩いコメントありますよね。
何だか、息苦しい時代になりましたね。
昭和の私達、頑張りましょう。
私の変なコメントも、ご容赦下さい。
牛乳と言えば、
昔、うちは、牛乳配達を頼んでは、飽きて何本もたまるようになって断り、また頼み、、、をしていた気が。
でも、最近、実家を片付けに行っていたら、牛乳屋さんの勧誘が来て、びっくりしました。確かに買い物に行けなくなったら、また、昔みたいに配達も必要だけど、、、。また、それやると、余るんでしょうね。
粽で有名な川端道喜は応仁の乱の頃食うにも困っていた天皇家にご飯を毎日届けていたようで、今も御所に出入りした門が道喜門として残ってるぐらいですから、正真正銘の御用達でしょうね。
最近編集画面にログインから、昔のブログを読む機会が多いですが、本当に私のブログは花水木さんとToitenlaさんのコメントに支えられてると思いますね、ありがとうございます。
昔は山科は東山区の一部だったことは覚えていますが、50年くらい前に独立して山科区になったと思います。
ヤクルトを家内がとっていましたが、最近家内はヤクルト飲まないので、断ろうと思いながら、ヤクルトおばさんになかなか言えないですね。
先日行ったばかりなので、興味深く読みました。
昔は酪農もしていたのですね。
人の優しい歩く道、コント機会がありれば歩いてみたいです。
3年くらい前、大津駅前から逢坂峠を越えて落合まで一人で歩き、後は京阪で京都へ行きました。
車は多いけど、人は皆無、歩道もほぼなく、怖い思いをしました。
大津から逢坂峠、国道1号線ですから仕方ないですが、歩道も上手く使わないと危ない道をよく行かれましたね。もうじき私もこのブログで逆方向の半分ぐらいを紹介しますので、よろしく。
でも一人で、すごいですよ!!!
誤字は分りますのでシンパ御ないですが、落合がどこか分かりませんでした、追分?