松浦史料博物館は松浦家当主の私邸を利用しているので、城のような石垣を備えた立派な建物です。
玄関へ登っていく石段の手すりが、支柱はコンクリートですが、横棒は窒セったのが嬉しい。
もちろん伊能忠敬さんは平戸にも来ていて、松浦藩にこの九州の地図を贈っていますね。
1813年正月に平戸に入っているので、忠敬の亡くなる5年前67~8歳の頃か。
同じ年の私は単なる平戸観光ですから、やっぱり偉人にはなれそうにないですね。
五島をアップにしてみましたが、同じ年の6月には忠敬一行は奈留島にも来ています。
奈留島の形は、こんなものですかね。
娘はやや軽薄な所が私に似ていて可愛いいですので、もちろん後ろの内鰍熬?トメ[ズを取ってくれました。
思わず目頭が熱くなりましたので、打且ハ真は載せません。
*内鰍ゥ打鰍ゥ、どっちが正しいのか?
庭に設けられた閑雲亭(カンウンテイ)は明治に建てられたものですが、昭和62年の台風で悼オ、丸1年かけて再建された、武家茶道好みの茶室です。
平戸藩主松浦家29代鎮信(チンシン)によって創始された茶道鎮信流(チンシンリュウ)で一服いただきました。
復元菓子「鳥羽玉(ウバタマ)」もカステラを揚げたような「カスドース」も美味しかったですが、鎮信流はまずお茶を飲んで、それからお菓子を食べて、最後残りのお茶を飲むという、なかなか私好みの作法ですので、茶道やるなら鎮信流が良いですね。
返事
花水木さん:Aクラスは4位まで表彰され、盾も貰えますが、
Bクラスはエア表彰だけでした。
福山市さん1・2・私ももう一度、春の日に弁当を持って、
峠に座ってトンボロを1~2時間見下ろしていたいです。
上五島ウオークは天気も一つでしたね。
でもいつも五島に来ていただいて、ありがとうございます。
福山市さん30歳ごろに、平戸は橋で繋がったのですかね。
等級はどうでも、同じようにしていただかないとね。
こちらでは、お嫁さんが結婚式で用いるのは打ち鰍ッと言います。
・・・・内鰍ッとなると、相撲の技??
詳しく知りませんが。
目頭が熱くなったのは、ノリが良い娘さんと言うよりも、そろそろ親元を離れる愛娘が愛しいからでしょう。
世の父親は、みんなそうかも。
それに引き換え、息子の薄情な事。
特にB型男子はね。