8. わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり
喜撰法師(9世紀後半)
喜撰法師は六歌仙の一人ですが、まったく何もわからない謎の人のようです。
都の辰巳(タツミ)は東南方向で、宇治は京都の東南です。
私の出身中学は城巽(ジョウソン)中学と言うのですが、京都の二条城の東南にありました。
城の巽(タツミ)の方角なので城巽です。
城東とか城南とかの名が付く学校は地方地方にたくさんあるようですが、さすが京都、少しひねって城の東南方向にある学校なので城巽、これが私のプチ自慢でもありました。
8. わが院は 島の中央 患者来る
名を奈留(なおる)病院と 人はいふなり
わがい・は・の・を・と・人はいふなり 14字同じ
元歌が替え歌に作り易い歌だったせいもありますが、なかなか上手に変換して綺麗にまとまった1首ですね。
しかも「奈留病院」を「治る病院」と読ましている所など、7字が11字まで字余りになっているのを感じさせないぐらいの素晴らしい出来だと、またまた自画自賛しています。
奈留病院は昭和18年、奈留島村漁業協同組合立厚生病院として開設され、この正面玄関は平成4年3月に増改築されて今に到っていますが、いよいよ来年度には奈留病院ではなく、五島中央病院付属診療所奈留医療センター(仮称)と言う有床診療所になるようです。
返事
大雪男さん:素直に褒められたと喜ぶべきか、けなされたと嘆くべきか・・・・。
いずれにしても、上手に作ろうとした歌はダメだと言うことですね。
花水木さん:「格調高い」との言葉も、僕にとっては、あまり褒め言葉ではないと言うことでしょうね。
喜珍さん:「ドラ焼き」は関東かドラエモンの世界の話です。
京都でもあれは「三笠」と言ってます。
もう一つの例のあれは、当事者感が強く何か言いそうなので、行きませんでした。
喜珍法師
>先生
僕も、行政の人間です。
行政が言うことは、何でも悪だと決めつけてかからないようにして欲しいなあと思います。
奈留病院の診療所化の話は、一次救急の拠点としての奈留病院の機能を、少しでも先まで残すため方策として、少しでも赤字を縮小するためには、避けては通れない当然の話だと思います。
目先のことだけではなく、長い目で見て、どうするのが奈留島にとって得策なのかということを、僕たちは僕たちなりに考えているつもりです。
役所の職員である前に、僕たち自身も奈留島の島民なのですから。
PS.
「どら焼き」という言葉が、実は東京(関東)限定盤の言葉だというのは、始めて知りました。 (*^_^*)