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16. たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば いま帰り来む
中納言行平(818~893)
「私はあなたと別れて因幡へ行かねばなりませんが、その因幡の国の稲葉山に生えている松のように、あなたが待っていると聞いたら、すぐにでも都に戻って来ましょう」と詠んだ中納言行平(在原行平)は、第51代平城天皇の孫にあたるエリートで、次の16番の歌の作者でかの有名なプレイボーイ在原業平の兄になります。
弟と違って、真面目に在原家の繁栄を願い、政治の仕事に励んだそうです。
飼い猫がいなくなった時には、この歌の下の句を紙に書いて戸口に貼ったり、餌皿の下に置いておくと、猫が帰ってくるそうです。
確かに雄猫は大きくなるとどっかへ行ってしまった経験がありますが、犬のフークはどこにも行かないようなので、私はこの話は知りませんでしたが、結構有名な話のようですね。
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16. たち別れ フェリー甲板で 手いを振る
松任谷聞かば いま旅立たむ
たち別れ・をふる・まつと・聞かば・いま・む 17字同じ
「生ふる」がうまく手い「を振る」と変わりましたし、奇跡的に「まつと」し聞かばが松任谷由実(ユーミン)の「松と」まで同じになりました。
行平が1100年以上前に作った時から、「瞳を閉じて」が奈留高校の愛唱歌になり、奈留港フェリー乗場で別れにはこの歌が歌われることが運命づけられ、私の替え歌が生まれることさえ神は知っていたように、端から端まで上手に納まった、奈留島百人一首の中でもぴか一と思われる出来に仕上がった一首です!!!
素晴らしい!! もう一度声を出して詠んで下さい。
替え歌がもう単なる替え歌の領域を離れて、名歌として独り立ちしたかのようですね!!
と、一人自画自賛しております!!
もうこれ以上の秀歌を産み出す力は、私には無いと思っている自信の一作ですが、どうでしょうか?
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というわけで・・・・
昭和49年奈留高校の在校生が、「オールナイトにっぽん」のパーソナリティーであった荒井(松任谷)由実さんに「私たちの校歌を作ってください」と頼み、出来上がったのが「瞳を閉じて」。
校歌には成りませんでしたが、奈留高校の愛唱歌となり、奈留高校の校門横にはその歌碑も立っています。
奈留島からの旅立ちや別れの時には、紙テープと共にこの「瞳を閉じて」が流れ、奈留島の人々は皆さんこの歌を知っています。
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昭和63年「瞳を閉じて」の歌碑の除幕式には、ユーミン本人も奈留島に来られました。
この歌碑まで観光客が来てくれた時には、うまくいけば在校生が歌碑のそばで歌ってくれますし、この歌をフェリー乗場で聞くといつも涙が溢れます。
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2008年8月30日のこのブログ、奈留島121ヶ所ごみ箱霊場観光巡り番外編をご覧下さい。
奈留島ゴミ箱霊場観光巡りの愛唱歌、同じくユーミン作曲「袋を閉じて」も素晴らしい曲です。
今回は私得意の自画自賛の嵐になりました!!
自画他讃になるようもっと精進いたします。
返事
花水木さん:キャベツは甘藍(カンラン)というですか。
まったく聞き覚えがありませんでしたが、調べてみると、戦前まではそう言っていて、
それほどャsュラーな食べ物でもなかったようですね。
ただ、散歩中にキャベツを貰ったおばあさんに尋ねると、「かんらん」知っていて、戦前から作って食べていたそうです。