
大阪府内などの陵墓を管理しているのは、大阪府羽曳野市にある、この宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所です。
ここで管理されている天皇陵の陵印は、ここでもらえますので、駐車場もある事務所前に車を停めさせてもらい、陵印を押しました(15年前に来た時より親切な対応です)。
そして、目の前の応神天皇陵や、近くの皇后陵などにも参拝しました。

第15代応神天皇(オウジン)は第14代仲哀天皇の第4子として、母神功皇后との間に産まれました。
でも、父仲哀天皇が急死してからだいぶ経って、妊娠期間を無理矢理延ばした感じで、九州筑紫の蚊田(カタ)で、ちょっと不自然な形で産まれた品陀和気命(ホムダワケノミコト)、書紀では誉田別尊(ホムタワケノミコト)は、応神ではなく別名胎中天皇とも呼ばれています。
その後、母神功皇后と共に、腹違いの兄達を打ち負かし、母の長い(69年)摂政の後、軽島豊明宮(カルシマノトヨアキラノミヤ)⦅奈良県橿原市⦆で即位し、応神天皇となりました。

応神天皇は15代目ですが、ここから日本の天皇家の歴史が始まったと言ってもいいぐらいです。
(応神は以前の家系と繋がってないかも?です)
ここから数代は陵が、最近世界遺産候補地に選ばれた百舌鳥古市古墳群に集まっていますし、歴史学的にも、応神から河内王朝が始まったとして知られています。

応神天皇は10人の妻との間に26人(28人?)の子をもうけています。
最初は3姉妹皆と結婚し、長女との間に大山守命(オオヤマモリノカミ)など5人、次女との間に大雀命(オホサザキノミコト)など3人、3女との間にも4人の子をもうけています。
他にも、宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)や、数代後の継体天皇につながる若沼毛二俣王(ワカヌケフタマタノミコ)の父親でもあります。

第15代応神天皇は130歳(書紀では110歳)で崩御し、河内のこの恵我藻伏岡陵(エガノモフシノオカノミササギ)⦅大阪府羽曳野市⦆に葬られましたが、ここは誉田御廟山古墳(コンダゴビョウヤマコフン)と言って、墳丘長425ⅿと日本第2位の大きさをほこる巨大前方後円墳です。

応神天皇は遺言として、お気に入りの若いウジノワキイラツコの擁立を望みましたが、兄弟同士の戦いや駆け引きがあって、第16代になったのはオオサザキノミコト、すなわち仁徳天皇でした。
返事
花水木さん1:百舌鳥古墳群と言うぐらいですから、
この鳥はモズでしょうね?仁徳天皇陵なので雀か鷦鷯(ミソサザイ)の可能性もありますが。
大雪男さん:マンホールの蓋も、巡ってる人いるんですね。
でも、私のようにゴミ箱を霊場にして巡ってる人はいないようなので、
それはプチ自慢です。
花水木さん2:先週の鬼岳草スキーは観ました。
16日も忘れず観ますが、期待外れに終わりそうです。