島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

三方五湖の鰻

2023-03-20 | 

 昨日(日曜日)は予想より暖かかったので、近所を散歩。

うああ!  交差点のこの何桜か。もう満開でした。

 近所の家の庭の桜も、知らないうちにあっという間に満開でした。

 松ヶ崎の山すそのこんな所にも桜が有りました。同じく散歩中の医局の先輩に偶然出会い声かけられ、しばらく立ち話です。

 本日(月曜日)朝、自転車で出勤前に寄った本満寺の有名な桜も、もう満開でしたので、来週はもう散ってますかね。

 もうこんなに桜が咲いてる季節になってることを忘れて先週金曜日に行ったのが、福井県三方五湖。

前回の年縞博物館で興奮していましたが(意外と世間は冷たくコメント有りませんでしたが)、本来の目的は三方五湖のレインボーラインと西田梅林でした。

 結局梅はもう終わっていたのと、観光梅林ではなかったので、少しだけこのような咲き終わった梅を撮ってみただけで、レインボーラインは年縞博物館に負けて、行くのさえ止めました。

 行ったのは、道の駅の三方五湖自然観察村で職員に教えてもらった、年縞博物館と食堂です。

 その食堂で、単品で頼んだ刺身盛り合わせ、5種類とも美味しかったです!

 このうな重と刺身二つだけを、仲良く二人で分けました(計5050円)。

三方五湖で獲れた、半分ぐらい天然の鰻と思いますが、美味しかったですし、こんな大きな肝を食べた記憶が有りません。

 桜も梅も良いですが、鰻や刺身には勝てませんね。

 仲良く二人で分けたので、帰りにこれを食べる余力は十分残っていました。

いよいよ春ですね!

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年縞博物館

2023-03-18 | 

 いつも行ってる福井県小浜の近くの三方五湖に梅を見に行くつもりが、近くで見つけた 福井年縞(ネンコウ)博物館 の聞き慣れない名前にひかれて行ってみましたが、ピン~ポン~です。

 2018年に出来た立派な施設ですが、500円の入館料が70歳以上で二人とも無料。恐竜博物館もそうでしたが、福井県は気の毒なぐらい太っ腹です。

 三方五湖の一つ水月湖(スイゲツコ)は周囲11km、日本で54番目の湖ですが、この水底から掘り出された年縞(ネンコウ)の実物をステンドグラス処理して、45ⅿの長さ、現在(写真左端)から7万年前のものまでが、横にしてずらっと並べてあります。

 初めて聞いた言葉  Varve年縞 漢字変換でも出てきません。

すごいなあと興奮したので、皆さんにも少し説明します、最後まで読んでくださいね。

 水月湖に春から秋はプランクトンの死がいや花粉(暗い層)が、秋から冬には黄砂や鉄分(明るい層)が、堆積していきますので、この明暗縞模様が1年に1対、厚さ平均0.7㎜の地層が湖底に毎年出来ていくことに成ります。

 湖底にパイプを打ち込んだボーリングで、筒状の地層を採集すると、45mまでは綺麗な縞模様の地層があって、その縞の数は7万あったので、7万年分の堆積された地層がきれいに取れたことになりますし、100番目の縞は100年前に出来た縞と言うことです。

 一番右端、7万年前の年縞まで、45ⅿ歩いて到達。

この世界一の年縞が形成される条件として水月湖には

1.流れ込む大きな川がないので、土石が流入しない。

2.山に囲まれて風がなく、波が立たないので、湖水がかき混ぜられない。

3.かき混ぜられないので、水深34ⅿの深いところは酸素がなく、湖底を動いてかき混ぜる生物が生息できない。

4.普通の湖は堆積物で徐々に埋まって消滅しますが、水月湖は周囲断層の影響で、年1㎜ぐらい沈降してるので、年0.7㎜溜まっても埋まらないのです。

 この奇跡的な条件が重なったおかげで、7万年分の年縞が残り、水月湖は知る人ぞ知る世界のLake Suigetsuになったのです。

 湖底の地層を採集したのは、近くの縄文時代遺跡に関連して、地層の花粉などを調べるためであった、偶然からです。

 又45ⅿより深い所から取れたのは、泥状堆積物だったので、7万年以上前は水月湖の水深は浅く、湖底はかき混ぜられていたと考えられるそうです。

 長いつたない説明で、「それがどうした」と言われそうですが、一度福井県三方の年縞博物館に行って観てください、研究者の熱意も伝わってくるような施設です。

70歳以上無料では、あまりにも気の毒だったので、この立派な解説書(1500円)を思わず買ってしまいました。

 解説書見開きページの写真ですが、上はステンドグラス標本、下は採集直後の写真で、上手に処理を手早くしないと酸化やバクテリアによって年縞は消えてしまうそうです。

そうならないための工夫や、間に挟まっていた葉っぱを、放射性炭素年代測定の校正に用いたり、年縞の中にたまった火山灰などから、過去の火山噴火の正確な年代が判ったり、解説書を読むと年縞はすごいですよ!

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甲斐荘楠音展

2023-03-15 | 趣味

 好きな人でも、名前が覚えられなかったり、難しい読みで読めなかったりする人がいます。

私的には、知の巨人と言われた南方熊楠(ミナカタクマグス)と、今回の画家甲斐荘楠音(カイノショウタダオト)(1894~1978)です。

 25年前に、同じ京都国立近代美術館で開催された 大正日本画の異才ーいきづく情念ー甲斐荘楠音展 に行ってびっくりしたあまり、何を気に入ったのか、いつもは買わないこんな豪華な図録まで買ってしまっていました。

 写真のように地下鉄の吊りポスターでも宣伝していた、今回の 甲斐荘楠音の全貌 展を、暖かい陽気に誘われて、先週は行ってきました。

 1897年(明治27年)に京都市中京区で生まれた楠音は、大正から昭和の初めにかけて(20歳から30過ぎまで)、モナ・リザの微笑に魅了されて、独特の美人画を書き続けたようです。

 私は大正8年ごろ(26歳)に書かれた、この「女の顔」の表情が気に入っています。

 83歳で1978年(昭和53年)に亡くなっていますが、東映時代劇全盛のころの衣装などを担当して、「旗本退屈男」や「新吾十番勝負」など、私も小学生の頃に夢中になった映画にもかかわっていたので、その衣装やポスターの展示もあって、懐かしかったです。

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四国金毘羅さんへ3.

2023-03-12 | 

 金毘羅さんで一番良い建物の、旭社の前の回廊の長椅子に座ってしばらく長い休憩。

参拝者が写真撮ったりして通り過ぎるのを、ぼんやり眺めていましたが、撮影時マスクを取ってると、マスク装着時の方が若くて綺麗な人ばかりでしたので、これから皆がマスクを外しだすと不安が残りますね。

 頑張ってまた上り出しましたが、この鳥居を抜けると、辺りは急に厳かな雰囲気になりました。

前を行くピンクのシャツの女性は地元の人か、手慣れた様子で、途中の社に参拝しながらも、どんどん上って行って、すぐに視界から消えました。

 785段最後の80段ほどを上りますが、結構急で怖いぐらいです。

京都の清水坂なら顔が差しますが、四国ならめったなことはないだろうと、堂々と手を繋いで上りました。

家内も怖かったのか、手を振りほどこうとはしなかったので、帰りのもっと怖かった下り坂も、ギュッととを手を握り合って、老夫婦は降りていきました。

これも金毘羅さんのおかげです。

 上り切った展望台からは、讃岐平野や瀬戸内海やたぶん讃岐富士も見えますので、上りきったまあご褒美ですね。

ここから奥社への参拝路も始まるのですが、当然そこまではしません。

 本殿でお賽銭を入れるまでの階段も、疲れかふらふらして、お願いもあまり出来ないまま金毘羅宮参拝は終了。

よほど手を握りたい欲望にかられない限り、もう一回は来れないでしょうね。

 帰りの石段途中に、何故か資生堂パーラーの[神椿」が有ったので、名物おいりもトッピングされた神椿パフェを、登頂のご褒美にいただきました。(コーヒーとワッフルは家内の分ですよ)

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四国金毘羅さんへ2.

2023-03-09 | 

  宿に車を停めて、いよいよ金毘羅さんへ参拝です。

宿の駐車場から参道に行くまでに、金倉川に架かる、こんな立派な屋根付きアーチ形の木造橋が有りました。

鞘橋(サヤバシ)と言って、長さ23m・幅4.5ⅿで、今は金毘羅宮のお旅所で行われる年3回の祭典にのみ使用されてるそうです。

 参道登り口に入りましたが、両側にはお店が並び、若い観光客もそこそこいます。

 石段を登る前のガソリンは、香川県に来てるので、もちろん讃岐うどんです。

「ぶっかけうどん」えび天ととり天付きです。

ボリュームは有りましたが、めちゃくちゃ美味いうどん、とは言えませんでした。

 785段の金毘羅さんの石段の、ちょうど半分弱ぐらい上がったら、大門が見えてきました。

すでに足にきていて、途中の宝物殿や画家の高橋由一美術館に寄り道する元気は有りませんし、応挙の襖絵がある表書院は工事中でした。

ただただ上るだけでした。

 少し平らでホッとした桜馬場では、五人百姓がべっ甲飴を売ってましたが、素通りするだけ。

左右の大きな石柱に書かれた、寄付者の名前を読みながら、気を紛らして進みました。

 剥製かと思うぐらい動かない2頭の神馬に挨拶しながら休みました。

 さすが航海の守り神、大きな寄贈されたスクリューの前で、記念撮影する余力は残っていましたが、疲れた顔をさらす余力はありませんでした。

 ここから上のトイレは小さいと言うことで、ここでは勿論トイレ休憩。

ここより上のトイレにも入りましたが、ホンマに小さな便器で、周りに飛び散るばかりで、出来ませんでしたって、そんなわけないですね。

コメント (4)
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