私は誰なのか?
私は何なのか?
私は本当に「私」なのか?
そんな感情にとらわれるものですね、人間って。
で、俺の場合、何だかつい最近までそうでした。
ってゆうか、今もそう。
夜中にふっと鏡を見たとき、「こいつは誰だ?」なんて思うんだよね。
自我が育っていないのか、ただただ馬鹿なのか。
まあ、よくわかんないんだけど。
若いときならいざ知らず、自分が誰なのかよくわかんない私。
夜空に輝く「ちゅーピー」に聞いてみたい(笑)
ただ、自己把握は出来ていると思う。
小太りのチビで、性格は温和。
言うなれば、爆笑問題の田中ってところか。
あるいは、キャイーンの天野。
直属の上司は私のことを、
「顔が怖い」とか「武闘派」なぞと罵倒なさるが、
何のことかさぱーり分からない私である。
ことほど、自分を把握している私。
自分がわかっていない人を見るにつけ、
「何だよ、お前…」って思います。
自分を把握するってのは、
弱点を認め、その改善に努力するってことだと思うんだけどなぁ。
それと、空気が読めない人ってのも困ったもの。
一時、「KY」ってフレーズがあまりに流行った反動で、
「『空気が読めない』ってのはむしろ美徳。
確固たる自分がある証左だ」なんて物言いが横行しました。
それはちゃうでしょ。
フツーの社会あるいは組織では、
空気を読む=気配りをするってのが当たり前。
読めない人ってのはやはり、困ったちゃんなんだよね。
なぞと、どーでもいいことを考えながら、新幹線で移動の日々。
車窓に映るリーマンたち。
「みんな、めんどくせーことをクリアしながら頑張ってるんだろうなあ」
てなことを思いながら、
四時間の愉悦を楽しむのでした。