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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

桃源郷に遊ぶの巻

2017-10-15 09:17:57 | 本と雑誌
活字中毒者として生きてきた。

それは幼子のころ、「いい子にしないとお化けが出るよ」と祖母に脅され、ひたすら活字の世界に逃げ込んだことに起因する。
年子の姉のピアノが本格化したころだから、4歳ぐらいだったんだろう。

本さえあれば、ひどく恐ろしく見えた床の間の掛け軸も洋間のフランス人形も、目に入らなかった。
いつしか父の文学全集を意味もわからず読み耽る、そんな園児になっていた。
どこか道を誤ったような気がする。

その成れの果てとして、活字界隈で食っている今があるわけだ。



「あたしのご飯も活字のおかげだね〜」って、ころっけも述懐する。

時折、大学でお勉強する奥さんを送り、キャンパスに。
お迎えまでの暇つぶしに、ゆるい本を読む。



「カーなべ」は、週刊文春で10年ほど前に連載されたもの。
車をめぐる評論だ。
過剰な筆致が楽しいし、今の大御所然?としつつある筆者とのギャップが時の流れを感じさせる。

10年で俺はどう変わったかなあ、なんて思いながら読むわけだ。
中国山地を駆け回ってルポしていた当時。
その後、変転、暗転、昇天寸前、と転がりながら今に至るわけだが、まあ、悪い人生ではなかった。

なぜ悪くなかったかというと、とりあえず今、こうして読書を楽しむ時間や空間を得ているからだ。



かつての狭量な私は純文学以外は認めなかったわけだが、そんな自分にジャンピングニーパッドをお見舞いしたい。
なんならそこからのスピニングトーホールドも。
ローリングクレイドルでトドメを刺してもいいほどだ。

一級の娯楽小説は人生を豊かにする。
これもそう。



フィクションとリアルのバランスが絶妙で、このシリーズは小説を事実が追いかけている感さえある。

さらに良いのは、私の程よい加齢っぷりである。
読み進めると、うっすらと疑問が出てきた。

「うん? これ、どっかで読んだような」



そう、すでに読んだことがあるんだろう。
しかし、著しい記憶力減退の中で、ストーリーはなおも新鮮である。

読んだことを忘れ、それに気づいても十分に楽しめるほどに脳細胞がその力を失っている…。

まさに「桃源郷」に遊ぶ私にとり、この時間は愉悦以外の何者でもない。