DCの映画には重苦しいその人となりの背景を表現する傾向が有る。
バットマン・ダークナイトでのジョーカーはあくまでもタダの人間で、超能力も化学兵器も使用しない。
心理的な攻撃を仕掛け、人としての本当の怖さを表現していた。
そんなジョーカーが僕の中では過去最高の悪役で有り、言い換えればホラー映画だった。
ジョーカー。
カードゲームでも自分を選択したことをあざ笑うかのような切り札。
人の不幸を喜ぶ道化。
正義への称賛を拒絶させる、悲哀を極めた悪への到達。
スピンオフで悪役の誕生譚が描かれることが稀にある。
スターウォーズのエピソード1~3はダース・ベイダーに
悪に感情も恨みもないが、自分は悪役の起源の方がストーリーがあるように思える。
それは宇宙人ではない限り、人間が多いからだ。
人間は最初、純白の穢れなき姿で生まれてきて、その後の行き方でいろいろな色が付けられ豹変するからだ。
かつては優しく純粋だった人物が、自己犠牲の末に止まれず暗黒面へと身を寄せる。
綺麗ごとによって正当化される悪にも正当性が見いだせるかもしれない。
ヒーローコミックス「バットマン」の宿敵として登場するジョーカーは、廃液の満ちたタンクに落下し、異貌となった形相が本性を肥大化させ、世界で最も知られるヴィランの一人となった。
だが彼の出自を再定義する本作は、そんな固定されたジョーカー伝説とは異質。
心を病み、それでも人々に笑いを提供する貧しい大道芸人が、社会からの孤立や資本主義がもたらす貧富格差といった膿汁で肺を満たされ、呼吸困難からあえぐように悪の水面へと浮かび上がっていく。
苦しいのか、それとも開放感から出る笑みなのか分からぬ表情で。
ジョーカーこと主人公アーサーは、自ら道を選んで悪の轍を踏んだわけではない。
そこにはダークヒーローなどといった気取ったワードとは無縁の、逃れられない運命の帰結として悪が存在する。
人生に選択の余地を与えぬ、容赦ない哀しみの腐臭を放ちながら。
喜劇のコントラストとしてそこにある悲劇へと踏み込んでいく。
到達が可能な、そんな不可触領域にジョーカーは潜在していた。
過去、映像化されたジョーカーの歴任俳優は、それぞれが最高のパフォーマンスをもって役に臨んできた。
自らをとことんまで追い込みパラノイアを体現することで、狂気の塊のようなキャラクターからつかみどころを見つけ、握った感触を確実にわがものにしている。
狂っているのは僕か? それとも世間か——?
ドーランを血に代えた、悲哀を極める悪の誕生を見た後では、ジョーカーへの同情が意識を遮断し、もはやバットマンに肩入れすることなどできない。
ぼくはジョーカーのメイクをするときのアーサーの涙を。
アーサーを捨ててジョーカーへと決意を固めた行き方の選択を支持したい。
バットマン・ダークナイトでのジョーカーはあくまでもタダの人間で、超能力も化学兵器も使用しない。
心理的な攻撃を仕掛け、人としての本当の怖さを表現していた。
そんなジョーカーが僕の中では過去最高の悪役で有り、言い換えればホラー映画だった。
ジョーカー。
カードゲームでも自分を選択したことをあざ笑うかのような切り札。
人の不幸を喜ぶ道化。
正義への称賛を拒絶させる、悲哀を極めた悪への到達。
スピンオフで悪役の誕生譚が描かれることが稀にある。
スターウォーズのエピソード1~3はダース・ベイダーに
悪に感情も恨みもないが、自分は悪役の起源の方がストーリーがあるように思える。
それは宇宙人ではない限り、人間が多いからだ。
人間は最初、純白の穢れなき姿で生まれてきて、その後の行き方でいろいろな色が付けられ豹変するからだ。
かつては優しく純粋だった人物が、自己犠牲の末に止まれず暗黒面へと身を寄せる。
綺麗ごとによって正当化される悪にも正当性が見いだせるかもしれない。
ヒーローコミックス「バットマン」の宿敵として登場するジョーカーは、廃液の満ちたタンクに落下し、異貌となった形相が本性を肥大化させ、世界で最も知られるヴィランの一人となった。
だが彼の出自を再定義する本作は、そんな固定されたジョーカー伝説とは異質。
心を病み、それでも人々に笑いを提供する貧しい大道芸人が、社会からの孤立や資本主義がもたらす貧富格差といった膿汁で肺を満たされ、呼吸困難からあえぐように悪の水面へと浮かび上がっていく。
苦しいのか、それとも開放感から出る笑みなのか分からぬ表情で。
ジョーカーこと主人公アーサーは、自ら道を選んで悪の轍を踏んだわけではない。
そこにはダークヒーローなどといった気取ったワードとは無縁の、逃れられない運命の帰結として悪が存在する。
人生に選択の余地を与えぬ、容赦ない哀しみの腐臭を放ちながら。
喜劇のコントラストとしてそこにある悲劇へと踏み込んでいく。
到達が可能な、そんな不可触領域にジョーカーは潜在していた。
過去、映像化されたジョーカーの歴任俳優は、それぞれが最高のパフォーマンスをもって役に臨んできた。
自らをとことんまで追い込みパラノイアを体現することで、狂気の塊のようなキャラクターからつかみどころを見つけ、握った感触を確実にわがものにしている。
狂っているのは僕か? それとも世間か——?
ドーランを血に代えた、悲哀を極める悪の誕生を見た後では、ジョーカーへの同情が意識を遮断し、もはやバットマンに肩入れすることなどできない。
ぼくはジョーカーのメイクをするときのアーサーの涙を。
アーサーを捨ててジョーカーへと決意を固めた行き方の選択を支持したい。