三島由紀夫って?
「仮面の告白」や「金閣寺」
切腹した。
自決から50年。
三島由紀夫の名は知っていても、その人物を正しく知る人は、もはや少ないのでは。
ミシマを知らない人は想像以上の発見と愉しさをもたらしてくれる。
自決の1年前に東大駒場キャンパスで行われた三島由紀夫と東大全共闘の討論会。
その様子を撮影していたTBSの映像ドキュメンタリー。
血気盛んな東大全共闘の学生たちが、ノーベル文学賞候補であり、肉体を鍛え「天皇主義者」として知られていた三島由紀夫を討論会に呼んだ。
思想も立場も異なる三島に対し、彼らは「三島を論破して、舞台上で切腹させる!」と異常なテンションだったらしい。
画像の中には当時を知る人や識者たちが登場し、「全共闘とは?」「なぜ、この討論が行われたのか」「何が論じられているのか」を実にやさしく、わかりやすく教えてくれる。
学生が三島にとって「天皇」とはなにか、を聞く。
人と人が正面から向き合い、言葉をぶつけ合う。
猛烈なエネルギーを感じながら頭をフル回転させ、議論にくらいついていく。
結果、三島由紀夫という人物の一端を知る。
今の若者に、街に、政治の場に、いまこんなことができる“人”はいるのだろうか...そんな意見を発する60代、70代の話を良く聞くが、その発想自体が他人に依存して「私にはできません」そんな風に聞こえる。
ある意味それに到達できなければ憧れだけで置いておき、他人任せにはしないほうが良いと思う。
やはりどの時代でも、先ずは自らが行動を起こすか。それに尽きる。
人生経験も浅く、日々の糧を得るために社会で働いた経験もなく、想像や理想で日々を過ごし理論武装をする学生。
片や40年以上と言う経験を踏まえ、多くの言葉を知る文豪として生き、戦争時代も過ごしてきた三島。
対等に争うのではなく、大人が諭すような思いやりさえ三島の言葉からもうかがえる。
年下の意見にも耳を傾ける、そんな大人な三島は今の時代にも大切な人だったのかもしれない。
「仮面の告白」や「金閣寺」
切腹した。
自決から50年。
三島由紀夫の名は知っていても、その人物を正しく知る人は、もはや少ないのでは。
ミシマを知らない人は想像以上の発見と愉しさをもたらしてくれる。
自決の1年前に東大駒場キャンパスで行われた三島由紀夫と東大全共闘の討論会。
その様子を撮影していたTBSの映像ドキュメンタリー。
血気盛んな東大全共闘の学生たちが、ノーベル文学賞候補であり、肉体を鍛え「天皇主義者」として知られていた三島由紀夫を討論会に呼んだ。
思想も立場も異なる三島に対し、彼らは「三島を論破して、舞台上で切腹させる!」と異常なテンションだったらしい。
画像の中には当時を知る人や識者たちが登場し、「全共闘とは?」「なぜ、この討論が行われたのか」「何が論じられているのか」を実にやさしく、わかりやすく教えてくれる。
学生が三島にとって「天皇」とはなにか、を聞く。
人と人が正面から向き合い、言葉をぶつけ合う。
猛烈なエネルギーを感じながら頭をフル回転させ、議論にくらいついていく。
結果、三島由紀夫という人物の一端を知る。
今の若者に、街に、政治の場に、いまこんなことができる“人”はいるのだろうか...そんな意見を発する60代、70代の話を良く聞くが、その発想自体が他人に依存して「私にはできません」そんな風に聞こえる。
ある意味それに到達できなければ憧れだけで置いておき、他人任せにはしないほうが良いと思う。
やはりどの時代でも、先ずは自らが行動を起こすか。それに尽きる。
人生経験も浅く、日々の糧を得るために社会で働いた経験もなく、想像や理想で日々を過ごし理論武装をする学生。
片や40年以上と言う経験を踏まえ、多くの言葉を知る文豪として生き、戦争時代も過ごしてきた三島。
対等に争うのではなく、大人が諭すような思いやりさえ三島の言葉からもうかがえる。
年下の意見にも耳を傾ける、そんな大人な三島は今の時代にも大切な人だったのかもしれない。