知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『ドミニカ共和国の入国管理で貴重な体験をさせて頂きました!』ー東アジアや中近東の某国でなかったことを、本当に運がよかったこと―

2020-09-06 22:35:35 | 外国

『ドミニカ共和国の入国管理で貴重な体験をさせて頂きました!』 

ー東アジアや中近東の某国でなかったことを、本当に運がよかったこと―

   

 先ずはウエブ情報で最初から余談で恐縮です。 大げさに言えば、いまや、ドミニカ共和国のベースボール・ソフトボールの盛況と、その存在なしにメジャーリーグ(MLB)が成り立たないと言っていいほどの人材供給国になったドミニカ共和国です。

 150人のメジャーリーガーに加え、900人に及ぶマイナーリーガー、それに世界各地へ『出稼ぎ』に行く選手を含めると実に2,000人前後のプロ野球選手を輩出しているまさに『世界の野球選手工場』と言える存在です。

 

 昔、お世話になった会社のドミニカ共和国代理店の某社の名物社長は、スペイン系の紳士で金ぴかの大きなネックレス23本と指輪23個の似合う方で、地元のプロソフトボールチームのオーナーでした。 

 

 この社長とは気が合って、定期的に出張するのが楽しみでした。 駐在先は現地法人があるパナマですので出張は、マイアミ経由のサントドミンゴ行きになりますから、夕方にサントドミンゴに着きましたので、いつも飛行場からソフトボール球場に直行でした。

 

 中学一年生で、野球部に入りましたが、当時の超スパルタ指導に『たて突き』すぐ退部、陸上部に移った自分も、アスリートの端くれでした。 この社長とはアスリート談義を遠慮もせずにやりました。 特に、日本とドミニカ共和国の野球・ソフトボールの違いは、守備での腰高(腰の落とし方)と、バッティング時の肩の力の入れ方(上腕を横に挙げて、カブル・前傾)等でした。

 

 表題からはどんどん脱線します。 サントドミンゴのメジャーリーグ(MLB)予備軍の更に、その予備軍のソフトボールの若者たちですが、投げる球も早く、バットスウィングスピードと、うなり音は、凄まじいものだと理解したのを思い出しました。 

 

 世界野球ソフトボール連盟(WBSC)が発表を行っている、最新の野球およびソフトボールのランキングです。 ハングリー精神より、豊かな環境の方が良い選手とチームを育てるのかもしれません。

  野球      日本:1位、  ドミニカ共和国:10

  ソフトボール  日本:1位、  ドミニカ共和国:15

 

 某氏(野球評論家)も心配してます。 日本のプロ野球の多くのスター選手達を、メジャーリーグ(MLB)に、送り出す日本も、『アメリカで即使えるの野球選手養成部門』に例えられそうです。 日本のプロ野球はメジャーリーグ(MLB)から見れば、『宝の山』なのかもしれません。 スカウトし易いように採用のルールをその都度変えればいいわけです。 大谷選手と採ったときのように・・・。

 

 表題の『ドミニカ共和国の入国管理で貴重な体験をさせて頂きました!』に戻ります。 長い海外駐在の間には、いろいろな経験ができます。 

 

 ドミニカ共和国の歴史は古く、紀元前4000年から1000年までの間に先住民アラワク族(タイノ人)が南アメリカ大陸のギアナ地方から移住してきた。

 その後、この島に1493年、クリストバール・コロン(コロンブス)がヨーロッパ人として初めて上陸し、「小さなスペイン」(Hispañola)島と新たに名づけた。その後二度の植民失敗の後、1496年にコロンブスの弟バルトロメによってサント・ドミンゴが建設され、「新大陸」初のスペイン植民地となった。

 

  この静かなドミニカ共和国にも、日本赤軍派の余波を受けて、厳しい入国管理を徹底された時期がありました。 その背景は、『日本革命を世界革命の一環と位置付け、中東など海外に拠点を置き、1970年代から1980年代にかけて多数の武装闘争事件(日本赤軍事件)を起こした』ことにありました。

 

 ちょうど、その頃に、南米に進出にしていたのでしょうか、後日の日本赤軍関連の報道です。

 19966月:ペルーに潜伏中の吉村和江が発見され、国外退去処分となり逮捕された。

199711月:ボリビアに潜伏中の西川純が発見され逮捕された。

 

ウエブ情報です。 

 ドミニカ共和国国家警察(Policia Nacional Dominicana)は、人員15,000人の規模を要する内務省傘下の警察である。 文民警察組織であるため軍事的要素は少ないが、警察と軍の任務に重複する部分がある。 軍の任務に重なる部門については、通常の警察業務から離れる。 自分が遭遇したサントドミンゴの空港警察はグリーンっぽい国防色の制服でした。

 

 『ドミニカ共和国の入国管理で貴重な体験をさせて頂きました!』のは、1970年代の後半でした。 いつものように午後3時ごろ、サントドミンゴの空港に着き、入国審査の時でした。 審査官がパスポートをめくって写真をチェックすると、即(ほんとに早かった)大柄な空港警察官が二人きて、自分の左右の腕の両脇の下から、太く逞しい腕で抱えられました。 両足が殆ど床から離れた感じでした。 

 

 あっという間の出来事で、隣の別室に、連れていかれ、何枚かの『ハガキサイズ』の顔写真と見比べた結果すぐに、『該当なし』の判断ができたらしく、元の入国審査場所へ戻されました。 入国審査窓口カウンター越しに、ちらっとのぞき込めましたので、確認できたのは『パスポート証明写真サイズ』の顔写真がたくさん並んで見えました。 このサイズの写真では、人違いされたのも無理もないと思いました。 ここでもインターポールの組織と活躍には驚かされました。

 

大柄の警察関係の方々に遭遇した経験が、今でもトラウマで残っています。

  •  柔道の初段昇進審査の対戦相手が大柄の鉄道公安官でした。 全く刃が立ちませんでした  
  • 香港の警察で交通事故報告の時ですが、けがの様子から、喧嘩と間違えらえられ刑事部の厳しい取り調べになり、担当が大柄な山東人でした。
  • 『恐怖の勘違い』、のサントドミンゴの空港警察官も大柄なアフリカ系 でした。

 

 このような経験が、東アジアや中近東の某国でなかったことを、本当に運がよかったことだと、今更ながらですが、時々思い出しています。

                         (20200906纏め #215)

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