『大女優 原節子さんの凄さ 1(写真家・秋山庄太郎氏は 同い年のこの女優を撮りたくて、近代映画社へ入社)』
先日、BSプレミアム『映像の世紀特別編(再)世界を変えた女たち』で原節子さんが紹介されていました。 写真を『下手の横好き』でやっていますので、いつも弟子に何枚ものバックボードと持たせて花を撮影する秋山正太郎氏のファンでした。
写真(1)
ウキペデイアから引用
秋山氏に関する記事を読んでいた昔のことですが、『ビール党』と自称していた自分が、大女優原節子さんが、『上品な酒豪でビール党』であったことを知り、原節子さんの大ファンになりましたのは、次の『秋山庄太郎氏の原節子さんとの偶然のすれ違いと、その後について』のウエブ情報の抜粋・引用です。
『大学を卒業して田辺製薬に入社しましたが、三ヶ月で応召。その直前に見合いをし、結婚しました。 中国では通信兵として各地を転戦し、マラリアにもかかりました。
復員後は、銀座八丁目に秋山写真工房を開設しました。 全額借金です。父親はカンカンに怒っていました。ところがスタジオは開店休業状態。 スタジオがつぶれ、さてどうしたものかと考えていた時、女優の原節子と松坂屋の横ですれ違ったんです。あまりの美しさに茫然としました。 いつの日かこういう美女を撮りたいとつくづく思いましたね。
数日後、林忠彦(木村伊兵衛氏、土門拳氏と並ぶ昭和を代表する写真家)さんから連絡があり、「いま『近代映画社』がカメラマンを探しているんだけど、庄ちゃんが行くなら紹介するよ」と言う。 「もちろん行くよ、おれ原節子に会いたいもん」と言って、即日入社しました。 それから二ヶ月もたたないうちに原節子を撮ることができました。運がいいんですね。
原さんとは気が合い、自宅にまで呼ばれるようになり、よく手料理をごちそうにもなりました。 原さんに気に入られたきっかけは、大船撮影所からの帰りの電車の中で偶然一緒になり、「秋山さん、映画界好き?」と聞かれたことからですね。 ぼくが「あまり好きじゃない」と言うと「私も好きじゃないのよ」とニコリ。 「撮影中もまわりに大勢お付きの人がいて、正直気が散って困るんです」と言うと、「だったら明日うちへきて撮ってよ」とふたたびニコリ。 これには仰天した。 会社へ帰って報告しても、最初は誰も信じませんでしたからね(笑)。 原さんはとても率直な人で、ある日、ぼくが闇市の食い物の話をしたんです。 「進駐軍の残飯を集めて売り歩く商売がある。 A残飯とB残飯とがあって、A残飯というのはきれいに残したもので、B残飯はぐちゃぐちゃになったおじやみたいになっている」と。 そんな話をしていると、「私も残飯を食べたことがある。 食べていたらパンの耳が出てきたの。 なんでこんな屈辱を味あわなければいけないんだろうと涙が出てきたわ」と。 そういう話をスムーズに語れる人は、大スターでは珍しかったですね。』
秋山氏は、鎌倉の原邸で、お酒とお馳走を頂いた後、泊まることになったそうですが『ふすま一枚隣に原節子さんがお休みと思うと、一晩中眠れませんでした』と言ったエピソードを聞いたこともあります。
写真(2)
ウキペデイアから引用
大女優は、『原節子ハーフ説』『マッカーサーとの噂』も、なるほどと納得できるほどの凄さです。 身長も、当時としては西欧人に比べ、堂々の165㎝です。
原 節子(1920年6月17日 - 2015年9月5日)さんは、日本の女優。 本名は會田 昌江(あいだ まさえ)。 「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。代表作に『わが青春に悔なし』、『青い山脈』、『めし』、『東京物語』などがある。 1963年に女優業を引退し、2015年に死去するまで隠遁生活を送っていた。
映画が娯楽の頂点にあった昭和という時代に、映画界で活躍した女優・日本映画の『三大女優』と言われるのは、原節子さん、田中絹代さん、高峰秀子さんでした。 三人の出演した映画の多くは、傑作として記憶に残る作品が多くあります。 また、この三人、すぐに思い出すのは、特徴的なのが原節子さんには小津安二郎氏、田中絹代さんに溝口健二氏、高峰秀子さんに成瀬巳喜男氏という巨匠監督が存在したことです。
基準を人々を惹きつけ、映画を中心の場として活躍し女優たちに置いてみる。 そこで挙がるのが原節子さん、田中絹代さん、高峰秀子さんです。 この三人が日本映画を代表する女優ではないかと思いました。
大女優の原節子さんは『27年の現役』の間に『47人の監督で109本』の映画に出演しておりましたが、受賞経歴も少なく、あまり知られていない一面もありました。 『めし』(成瀬巳喜男 監督、1951年)は1951年度の日本映画文化賞作品賞、世界映画社賞作品賞、毎日日本映画コンクール日本映画賞(『麦秋』との共同受賞)など多くの賞を得ている。
2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いたのが原節子さんでした。 やはり稀代の大女優です。
因みに、グランプリ女優と呼ばれる『京マチ子』さんは『44年の現役』の間に『28人(一部の作品リストに監督の情報なし)の監督で101本』、受賞も多数です。 次は京マチ子さんを調べる楽しみができました。
(記事投稿日:20200913、最終更新日:2024/08/24、♯218)