知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『多才で孤高の画家高永岳彦が凄い、「器用貧乏」と揶揄されたが「器用貧乏が勝つか、不器用が勝つか」、勝負だ』と意に介さなかった。』

2020-09-19 14:34:58 | 絵画

『多才で孤高の画家高永岳彦が凄い、「器用貧乏」と揶揄されたが「器用貧乏が勝つか、不器用が勝つか」、勝負だ』と意に介さなかった。』

  江戸時代の葛飾北斎を彷彿させるような画家が身近に居りました。 あの「ぺんてるくれよん」のイラストや小田急ロマンスカーのシンボルカラーを描いた高永岳彦氏です。 先ずはプロフィールをウエブ情報から抜粋です。

 

 静岡県磐田市生まれ。名古屋市立工芸学校卒業後、松坂屋名古屋本店に入社。その後、第二次世界大戦の兵役の後、松坂屋銀座店宣伝部に勤務しながら、創作活動を行う。

 

 油絵をはじめ、小田急電鉄や全日本空輸のポスター、童画、週刊漫画TIMESなどの表紙画、挿絵、水墨画などの作品を残した。特に1955年の発売以来、現在に至るまでパッケージに使用されている「ぺんてるくれよん」のイラストがつとに有名である。 その多才さから「器用貧乏」と揶揄されたが、「器用貧乏が勝つか、不器用が勝つか、勝負だ」と意に介さなかった。

 

 1974年にはブラジルの日伯文化協会の依頼で、当時の皇太子(明仁親王))および皇太子妃(美智子)の肖像画『皇太子・同妃両殿下御肖像画』を描く。この作品は明治期以降、宮内庁の正式な許可を得て皇室を描いた唯一の作品といわれている。

 

 宮永が考案したカラーリング(小田急ロマンスカー3000SE)秦野市に居住していた関係から、市内を走る小田急電鉄より新型特急車輛(小田急ロマンスカー3000SEのカラーリングの依頼を受け、オレンジバーミリオンにシルバーグレーのツートンを基調とし、白帯を配した塗装を考案。これは小田急ロマンスカーのシンボルカラーとなった、

 

 晩年はルネッサンス美術を回顧し、民族衣装を題材とした。 民族衣装を描く際は、民族衣装はその民族が着ないと美しくないとして、各国の大使館に出向き、気に入ったモデルを探して描いた。

 

多彩な芸域の広さの作品をウエブ情報からの引用です。

 

油彩画

 

 

水彩画

 

 

ポスター

 

 

週刊誌の表紙

 

漫画

 

 

『くれよんぺんてる』 のパッケージ

 

 

電車のシンボルカラー

 葛飾北斎は最晩年にこう言っています。

『私は、6歳から物の形状を写す癖があり、(中略)、90歳では奥義を究め、100歳になれば、まさに神妙の域に達するものと考えている。百数十歳ともなれば、一点一画が生き物のごとくなるであろう。 願わくば、長寿をつかさどる君子よ、わが言葉が偽りならざることを見届けたまえ』。 

 現代に生きていて、北斎が、この多才な画家・高永岳彦氏の作品を見たらどう感じたでしょうか!

                                                                                                      (20200919纏め #221

 

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